映画・アニメ: 2005年12月アーカイブ

もちろんドラゴンボールGTのことだ。
本日最終話まで見たので感想を。

かなり以前にここで書いたのだけど、ドラゴンボール世代を生きた人間として、最後のアニメであるGTを見ておきたかったというのが、視聴のきっかけ。
少年ジャンプでは、レッドリボン軍と戦っている辺りからは読んでいるのは確かだけど、それ以前の記憶は定かではないが、この辺は5歳か6歳ごろの話なのでしょうがない。

前回の感想はここ
http://www.wordsbox.com/blog/archives/cat_cat124.html

変身は必要あるの?ないの?

漫画でのドラゴンボールで「戦闘力が高い=勝利」という単純な図式が出来てはおり、後半は常にスーパーサイヤ人やフィージョンを駆使して戦っていたのではあるが、今回はさらにめちゃくちゃになった。

スーパーサイヤ人が解けたり、なったり、4になったり、1になったりと、コロコロと変わる。
スーパーサイヤ人4とは、かつて天界で力を引き出され、当時はサイヤ人単独で最強であったはずの悟飯が、「凄すぎて訳わかんね」と言った実力者なのだけど、その4で打ち合い負けた相手に、標準梧空で戦いを挑んで勝ってしまったりもする。
その標準と4の間では数千倍~数万の戦闘能力差があるはずなのだけど、その辺は演出ってことで納得すればいいのだろうか。

今回のGTで強敵は、ベビーと、改造17号と、壱神竜なのだが、そのうちの2人を標準で倒している。
つまり、戦闘力で勝利するというよりも、脚本家が倒したい技でとりあえず倒しているだけという感じだ。
GTは戦いが面白くないと思うのだが、この辺りの曖昧さもその原因の一つだろう。
リアリティや緊迫感が無い戦いは、どんなに敵を「強敵です」としても、おちゃらけてしまうだけだ。

最後まで魅力が無かったキャラクター

最後まで梧空には魅力が無かった。
漫画では、少なくとも地球の危機を背負った戦いではそれ相応に真剣になっていはいた。
武道家としての最低限の気持ちも持っているようにも見えた。
しかしGTの梧空は、表面的なキャラ先行で作られていて、かなり人格が破綻している。
ピンチの時にへらへら笑顔で、相手が弱いと油断しまくりでへらへら笑顔。
いつも明るいというキャラを、いつも笑顔なキャラを履き違えているのではないだろうか。

逆に、それなりに魅力があったのはべジータだろう。
相手が常に自分より強い中、毎回プライドをかけて時間稼ぎをしてくれた彼の努力には脱帽ものだ。

脚本が全て

結局は脚本が全てなのだろう。
このGTが誰に向けた作品なのかは解らないが、いろいろな意味で、半端な気がしてならない。
キャラクターという素材はあったのだけど、結局生かせなかったのは、脚本のせいとしか言いようが無いだろう。

ドラゴンボールにはそれぞれの編で魅力がある。

初期のドラゴンボールは、コメディ溢れる冒険のわくわく感
サイヤ人襲来編は、強者とのギリギリの戦闘
ナメック星編は、同じボールを求める者同士の緊張感ある駆け引き
セル編では、潜むものに対する恐怖
ブウ編は・・・いまいち

そのブウ編よりも、いまいちだと感じてしまったのが今回のGT。
展開事態はそれなりに考えているものもあったが、生かしきれなかったという印象でそれが全て。
結局、「借り物は借り物」って所におちつくってところで終了。

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