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神に愛されし者

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アマデウスという映画を見た。
3時間ぐらいの映画なので、出勤前に見たおかげで、今日はとても大変そうだ。
これから死にそうになりながら、仕事に行く。

アマデウス ― ディレクターズカット スペシャル・エディション

歴史は人が作るものだけど、音楽も、その音楽の歴史も人が作るものだ。
その人の人物と歴史を少し知る事で、その人の奏でる音楽と比べ、そこに意図を読み取るのも、面白い。
もちろん、映画は映画らしく脚色され、それが事実というわけでではないのだけど。

例えば、この作品で敵役とされるサリエルは、その生徒として、ベートーヴェンや、敵役とされたモーツァルトの息子フランツ・クサヴァー・モーツァルト、そしてフンメル、シューベルト、チェルニー、モシュレス、リストなど有名人を持つ。
当時ウィーンが音楽の都であったといえ、そのウィーンの宮廷楽団を統轄し、その中で様々な人材が生まれた事を考えると、そんなに凡人でなければ、不誠実な人でも無かったのではないかとも思う。

さらに、この作品ではそんなに悪い女ではなかったコンスタンツェ・モーツァルトは、世界三大悪妻の一人とされているらしい。
その3大悪の中に北条政子が日本では入るらしいので、これもずいぶん眉唾ものだ。
国を滅ぼしかけた楊貴妃が三大美人で、国を建てた(その後でぶん取った)北条政子が三大悪。そしてモーツァルトの資料を後世に残しきれなかったことや、再婚したから不貞だったということで世界三大悪まで上り詰めたコンスタンツェ。
なんか随分いいかげんな定義であるような気がするけど、ファンにとって、古代の歴史の人物より、今に残る音楽を残した作曲家ということで、より身近に憎しみを感じる存在であるのかもしれない。

この映画は20年以上前の映画だけど、今見ても全く色褪せない。
最新の映画だといわれても、全く違和感を覚えないだろう。

この作品は、とても小さい頃に一度見た記憶があるのだけど、やはり成人になってから見るのとは、同じ作品でも違うものだ。
モーツァルトのCDなんか買ってみようかな。

もちろんドラゴンボールGTのことだ。
本日最終話まで見たので感想を。

かなり以前にここで書いたのだけど、ドラゴンボール世代を生きた人間として、最後のアニメであるGTを見ておきたかったというのが、視聴のきっかけ。
少年ジャンプでは、レッドリボン軍と戦っている辺りからは読んでいるのは確かだけど、それ以前の記憶は定かではないが、この辺は5歳か6歳ごろの話なのでしょうがない。

前回の感想はここ
http://www.wordsbox.com/blog/archives/cat_cat124.html

変身は必要あるの?ないの?

漫画でのドラゴンボールで「戦闘力が高い=勝利」という単純な図式が出来てはおり、後半は常にスーパーサイヤ人やフィージョンを駆使して戦っていたのではあるが、今回はさらにめちゃくちゃになった。

スーパーサイヤ人が解けたり、なったり、4になったり、1になったりと、コロコロと変わる。
スーパーサイヤ人4とは、かつて天界で力を引き出され、当時はサイヤ人単独で最強であったはずの悟飯が、「凄すぎて訳わかんね」と言った実力者なのだけど、その4で打ち合い負けた相手に、標準梧空で戦いを挑んで勝ってしまったりもする。
その標準と4の間では数千倍~数万の戦闘能力差があるはずなのだけど、その辺は演出ってことで納得すればいいのだろうか。

今回のGTで強敵は、ベビーと、改造17号と、壱神竜なのだが、そのうちの2人を標準で倒している。
つまり、戦闘力で勝利するというよりも、脚本家が倒したい技でとりあえず倒しているだけという感じだ。
GTは戦いが面白くないと思うのだが、この辺りの曖昧さもその原因の一つだろう。
リアリティや緊迫感が無い戦いは、どんなに敵を「強敵です」としても、おちゃらけてしまうだけだ。

最後まで魅力が無かったキャラクター

最後まで梧空には魅力が無かった。
漫画では、少なくとも地球の危機を背負った戦いではそれ相応に真剣になっていはいた。
武道家としての最低限の気持ちも持っているようにも見えた。
しかしGTの梧空は、表面的なキャラ先行で作られていて、かなり人格が破綻している。
ピンチの時にへらへら笑顔で、相手が弱いと油断しまくりでへらへら笑顔。
いつも明るいというキャラを、いつも笑顔なキャラを履き違えているのではないだろうか。

逆に、それなりに魅力があったのはべジータだろう。
相手が常に自分より強い中、毎回プライドをかけて時間稼ぎをしてくれた彼の努力には脱帽ものだ。

脚本が全て

結局は脚本が全てなのだろう。
このGTが誰に向けた作品なのかは解らないが、いろいろな意味で、半端な気がしてならない。
キャラクターという素材はあったのだけど、結局生かせなかったのは、脚本のせいとしか言いようが無いだろう。

ドラゴンボールにはそれぞれの編で魅力がある。

初期のドラゴンボールは、コメディ溢れる冒険のわくわく感
サイヤ人襲来編は、強者とのギリギリの戦闘
ナメック星編は、同じボールを求める者同士の緊張感ある駆け引き
セル編では、潜むものに対する恐怖
ブウ編は・・・いまいち

そのブウ編よりも、いまいちだと感じてしまったのが今回のGT。
展開事態はそれなりに考えているものもあったが、生かしきれなかったという印象でそれが全て。
結局、「借り物は借り物」って所におちつくってところで終了。

GT

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もちろんドラゴンボールGTのことだ。

最近CATVで再放送が始まったのであるが、放送当時全く見なかったので、ドラゴンボール世代を生きた人間として、見ておきたいと思った。
既に20話程度まで見たので、そこまでの感想を。

誰がどう強いのかよく解らない。

まず、小さくなった孫悟空の戦闘能力は、どこまで落ちているものなのか。
20話ぐらいにでてきた敵を「ブウ以上だ」とか言いながら、スーパーサイヤ人1で普通に闘っているから、ウーブと修行した後の孫悟空って感じの力はあるのか?
というか界王神が目をつけて、あれこれ策を考えたブウ以上が普通にいるってのも?
まあ、実力がブウ並なら、普通のスーパーサイヤ人状態で、ブウ編のスーパーサイヤ人3並ってことになるのだろうけど。

全然活躍してないように見える若いトランクス。
タイムマシーントランクスは、軽々とフリーザを始末して、軽々18号に敗れた。
その後、修行してセルジュニア並みの力を持ったのだから、セルの第2形態並にはなっていただろう。
さて、新トランクスは、天下一武闘会少年の部出場の時点で、18号より強い。
それが青年になったんだから、いくら修行をサボりがちといっても、セルジュニア並や、下手するとセル並の実力を持っていておかしくないはず。
セル並といったら、原作ドラゴンボールでは、驚異的な実力者であって、その編の宇宙人に遅れをとるわけがないと思うのだけどどうなんだろう。

そんな2人と闘う、その辺の宇宙人達。
フリーザ恐るべし!!と、かつて席巻されていたのは、ジョークですか?
ただの雇われ浪人が、セルより強いんですか?

それとも、孫悟空が手を抜いて戦っているんですか?

「オラわくわくしてきたぞ。」と毎回2回は言う孫悟空。
正直しらじらしさを感じてしまうというか、ゲームキャラの戦闘毎の決め台詞みたいになってしまって、言葉に重みが全く無い。
表面的なイメージで性格設定や会話設定をしたような孫悟空というか、なんかイマイチ。
スーパーサイヤ人にもならない状態で、こんなセリフを吐くのもおかしい。
正直、2者は全然本気で闘っているように見えない。
売りがそこでは無いのだろうから、仕方ないのだけど。

物語は、ここから一つ目のヤマがあって、一つの強敵と相対することになっていく。
今まで前座と思えばこんなもの・・・と思うこととして、とりあえず最後まで頑張って見る。
おそらく最後まで見た時の感想は「原作者は偉大だね。借り物はやっぱり借り物だね。」って所に落ち着くと思うけど。

アニマックスで放送している、巨人の星 花形満編のような作品を何気なくみていた。

プロになった星と花形の対決時、星の弱点を見破った花形が、星からホームラン性の当たりを放ち、それを外野の守備のナイスプレイで阻止したというシーンがあった。
外野手に感謝を述べる星に対して、花形はこう思う。

「星君。なにも感謝する必要は無い。あの守備は巨人の激しいポジション争いから生まれたプレーなのだ。彼だって必死なんだ。」

そのセリフに妙に納得しながらも、「巨人の激しいポジション争い」という言葉に、今の巨人軍の激しいポジション争いとは全く異質の何かを感じたのは気のせいだろうか。
昨今の巨人は実力ではない何かでスタメンが決まり、若手のやる気を削ぐような状態が続いているような気がする。
だからチーム内でポジション争いが適正に行われず、チームとしての強さに欠けるような気がしてならない。
いや、実際実績のある選手をひっぱって作ったチームだから、若手の入る余地は殆ど残らないのだろうけど、何かここまで惨めなほど弱く、まさにゴミチームと化しているのを見ると、どうかしているという気がしてならない。

阪神や中日で、連日新しいヒーローが誕生して、激しいデッドヒートが繰り広げられているのに比べて、新鮮味も何もなく、どろどろとした空気につつまれる巨人。

かつて巨人の星を見ていたような人達は、今の巨人をどう思っているのだろう。

いまさらながら、ケーブルTVでガンダムSeedの総集編を見た。
かなり適当に見たのではあるけど、とりあえず、その感想を書きたいと思う。

機動戦士ガンダムSEED スペシャルエディション完結編 鳴動の宇宙
機動戦士ガンダムSEED スペシャルエディション完結編 鳴動の宇宙


この話は、DNA操作により、誕生以前で能力を高くされた人間(コーディネータ)と、普通の人間の話。
ガンダムは、月と宇宙と地球などの立場的な違いから戦争がおこってきたけど、今回のケースでは、人の違いから起こった戦争という事になる。

要は、改造人間同盟と、真人間同盟と、共存主義が対立する話。
この話は、同じ人間と思ってみるか、違う人間と割り切ってみるかで、全然視点が違ってくる。

機動戦士ガンダムSEED スペシャルエディション II 遥かなる暁
機動戦士ガンダムSEED スペシャルエディション II 遥かなる暁

両者が同じ人間という視点で見ると、明かに両者のトップは無能である。
戦争目的が両者とも私怨から沸いたという印象が強く、この戦争の目的が、相手の淘汰という、どちらにとっても利益の無いものであるからだ。
これでは、狂信者が殺しあっているだけで、戦争の落とし所が無い。
制作者側は、明らかに共存主義を支持しているのではあるが、その為に、狂信者的な敵役として、改造人間同盟と、真人間同盟が描かれているのは仕方が無いのかもしれない。
最後の最後も落とし所が無く、主要人物がとりあえず壊滅しただけで、問題は何も解決していない。
あれではトップが入れ替わって同じ事が行われる。
だから続編が出せたのであろうけど、それは全く見ていないので解らない。

機動戦士ガンダムSEED スペシャルエディション 虚空の戦場
機動戦士ガンダムSEED スペシャルエディション 虚空の戦場


両者が違う人間という視点で見ると、また考え方が変わってくる。
細かく見てないので解らないが、コーディネータの両親からは、普通に考えれば、コーディネータの子供が生まれる。(知らんけど)
優勢劣勢の法則により、コーディネータと、そうでない人間での場合も、そうなることが普通だと思われる。(知らんけど)
コーディネータは、明かに今の人類ではない力を持った存在。
人類の進化と照らし合わせて考えれば、既存の人類を、武力もしくは生殖的に淘汰して、最終的にコーディネータと取って変わるのが、流れとはいえる。

「ミトコンドリア・イヴ」というのは人類のルーツといわれる女性だけど、単一機起源説では、彼女という特殊な優勢進化した人間が、優勢劣勢の法則により生殖レベルの遺伝で数を増やし、やがてはネアンデルタール人などの旧人類を滅ぼす事になる。
つまり、その環境に対して優秀な種は生き残り、そして同じ環境におかれた他の種は、縮小を重ね滅んでしまう。

なので、この場合は両者のトップが、お互いの種を滅ぼしあう事を方針とするのは、至極真っ当な事であり、特に真人間側は、数で勝る時点で、相手を滅ぼせないと、あとは滅ぼされるままとなる。
だから、主人公の属する共存主義が、異端であると言える。

前提として、これはコーディネータが、生殖レベルでの遺伝が行われる事が前提なので、話を詳しく見てない私には解らない。
ただ、あそこまで簡単に改造人間が造れてしまう時代においては、コーディネーターが、最終的には勝つであろうし、それが定めだろう。

さらにいえば、主人公がモテモテなのは、明かにコーディネータで優れた力を持っているからであって、女性の本能は、もともとそういうものに、惹かれるようにできている。
主人公だってそうなのだから、幾ら共存を叫んでみても、説得力が無い。


つまりは、私の感想としては、テーマとして、どこにも落し所が無い話であって、結局は友情と憎しみの矛盾に苦悩する少年少女を見て、興奮する為の話なんだろうなという事だ。

ゲームは、インタラクティブ性に優れたメディアで、自分が意図した動きと、それに対しての反応を見て楽しむことも、ゲームの魅力の一部です。

さて、そんな訳で既に、家にあります、このゲーム。

シャイニング・フォースネオ
シャイニング・フォースネオ


前回DNAがどうだとか、使い回された言葉で誉めてみたわけですが、実は、現在まだプレイしていません。
自分ではプレイせずに、住人にプレイをさせて、自分の想像した面白さと、人が感じる面白さが、一致するかどうかを、見て楽しんでいるところです。

私は、新作ゲームを購入した時、まず住人にやらせて反応をみる事が多く、自分にとって面白そうだったら自分でもプレイします。
ある意味テストをさせていることになりますが、これで自分にとって面白そうだったら手をだして、そうでなかった場合はそれっきりになります。

また、このプレイで住人が思ったより熱中してプレイしてしまい、極めてしまうと満足してしまいます。
誰かがやっている結果を見て楽しんでしまうので、自分でやる必要が無いのです。
これはこれで、自分はそれっきりプレイしなくなります。

さて、シャイニングフォースは、住人的にはまずまず良好な様子です。
過去、プレイさせた半分は、すぐ止めてしまう住人的には、それなりに楽しめている様子なので、どのタイミングで奪い取るかが肝心になります。
タイミングを逃すと、住人は一円も払わずに私のゲームをやり尽くして、私は見てるだけという構図になります。

それはそれで良いんです。
私は、多くのゲームをプレイする為だけではなく、知るために買うからです。
LIVEで話すことが出来ないゲームは、特にその傾向が強くなります。
ですので、私のような人間にとって、体験版ほど無意味な戦略はありません。
どんなゲームかを想像して、その結果を確認する為だけに購入する人間にとっては、さわりが体験できるだけで、目的の90%を達成してしまうことも少なくないからです。


世の中には、サッカーでもなんでも、プレイして楽しむ人と、見て楽しむ人がいます。
見て楽しむ人も、プレイして楽しむ人と同じか、それ以上にお金は払うんです。

大作ゲーム、バイオハザード4が、ついに発売されました。
GC持っている人間にとっては待望の1作であり、あの低性能のPS2への移植に1年待てるような人間はバイオファン失格とまで囁かれるほど、評価の高い作品です。

それはどうでも良いんです。

傑作映画、バイオハザード2ムービーのDVDが発売されました。
ゲームを題材にしている多くのゲームが、さほど良い作品にならないという常識を覆した、希代の名作で、これを見ていない人間は、バイオファン失格と定めてよいほど、評価の高い作品です。

それもどうでも良いんです。


そのムービーに出てきた女優さん「シエンナ・ギロリー」って可愛いって思いませんか?
*(映画の写真

特に黒髪の時のすっきりさが、端正な顔つきとマッチして、非常に良いんです。
日本人でも好きな顔というか、日本人こそ好きな顔なんです。
本当に絶対可愛いんです。
私が女性を綺麗だと誉めた時に、間違えることは無いんです。


お薦めです。
バイオ4や、アポカリプスはとりあえずとして、シエンナ・ギロリーは絶大にお薦めです。

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