光武帝という本を読んだ。
王莽の新を倒す一つの勢力となって、漢を再考し往時の実力を持つまでに引き立てた、中国でも屈指の人物で、「妻を娶らば陰麗華」や、「柔よく剛を制す」という言葉も残している。
まあ、どれほど凄い人らしかったかは、wikipediaを読むのがてっとり早いだろう。
この光武帝という作品を読み、そして後書きの部分まで読んだときに、非常に興味深い1文を見つけた。
今の日本人の7割から8割は、漢民族の血が、どこかに混じっているというものだ。
この光武帝はキリストと同世代の人物なので、およそ2000年前の人物。
2000年前では、まだ日本では、自国の文化を伝える書物は残っていない。
ただ、この光武帝が倭国(日本)に授けた金印が、後に福岡で農家の人が拾って大騒ぎになった金印であるとされており、古代の日本と、漢民族は交流がなかったわけではないのだ。
ちなみに魏志倭人伝とかいう、割と教科書で有名な、日本についての最古の記述は、三国志の魏国の書物であって、この光武帝は、その一つ前の時代、後漢の創始ということになる。
今の日本に、漢民族が流れてきていたのは、中国でいう南北朝時代の頃までと言われていたように思う。
南北朝時代とは漢民族の支配力が弱まり、南に逃げたして、北方の騎馬民族が、それまでの中国に進出した時代だ。
つまり、この時代から、それまでの中国人は、別の人種になっていく。
だいたい、三国志の時代が終わり、晋が統一しきれず、北方の勢力に領土を奪われ、散々に国が乱れたあとで、隋に統一される頃までが南北朝時代。
教科書で有名な遣隋使の隋は、もう従来の漢民族ではなく、古代の日本に移住した民族の中心は、南方に追いやられた漢民族や、その祖先といえるだろう。
日本に漢民族が流れてきたケースとしては、春秋時代の呉越の戦いによる呉の滅亡で人が逃げ出したとか、この光武帝の時代に行き場を失った集団が逃げ出したとか、あとは秦の始皇帝が不老不死の薬を得る為に大金を渡した家臣が、逃げ出して居ついたのが日本だとか、色々言われている。
ちなみに、呉というのは、孫子の兵法を生み出した孫武が仕官した国であり、今の大河ドラマの風林火山という言葉は、まんま孫子の兵法の1ページであったりする。
日本人の7割から8割が、どこか漢民族の血が混じっているという事が本当ならば、その南北朝以前の時代の漢民族と、日本人は、大きく繋がっているのではないか。
そんな事を考えたときに、すごくドキっとした。
風林火山をはじめとした、沢山の言葉を生み出して今に伝えている春秋戦国時代の逸人も、ゲームでも小説でも大人気な三国志の英雄も、実は日本人の祖先と言えるのではないか。
もしかしたら、その時代の文化は、中国大陸では残らず、日本で育っていったのかもしれない。
それは、天皇というシステムが存在し続けた日本では、十分にありえるものだ。
今まで、中国の事だと思ってい読んでいた、さまざまな古事は、あくまで中国大陸で起こっただけであって、日本人に、そして自分に連なるものなのかもしれない。
そう思うと、なんか不思議なものを感じた。
それが何なのか解らないけど、古代中国小説を読みまくった自分としては、少し嬉しかったかな。




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