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生態

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久々に書くという事で、本日は、真面目にサイヤ人の生態について考えてみたいと思います。

サイヤ人は、人間との交配もできる、地球人に近い生物とは言えますが、尻尾が生えること、髪型が変化しない事、肉体が頑強な事などが違いとしてあげられます。
また、若い期間が非常に長く続き、そして寿命自体は人間と変りません。
1歳頃から他の星への侵略者として送り込まれる事から、生活知識の習得や、食糧確保の方法などは、人間よりも早く手に入れる事ができるはずです。
ある一定の成人になると、特別なサイヤ人以外は、戦闘能力が留まってしまい、そこは生まれつきの血筋が大きく影響している様子です。

これらから、想定をしていきますが、サイヤ人男のモテ期は、45歳~55歳ぐらいになると思われます。
おそらく、戦闘民族として存続をしてきたサイヤ人は、できる限り強い男の種を残したいという本能が強いと思われます。
その場合、特別なサイヤ人を除けば、戦闘経験、実績、地位、せっくるテクニックなど、肉体も容姿も衰えない50男が一番モテ期のピークになるはずです。
人間を例にすると、水島ヒロは若きイケメンですが、50歳の水島ヒロは、若きイケメンではありえません。
しかし、サイヤ人の水島ヒロは、50歳でもほとんど容姿に変化はない上に、いろいろなものに磨きがかかっています。


また、おそらく結婚というシステムは存在しないと思われます。
結婚は、子供を守るため、そして男が若い女にばかり行かないように束縛する為であり、女が地位のある男に、ほいほい行かないように束縛する為のシステムです。
赤子をすぐに別の星に放り出せるほど赤子が簡単に育つサイヤ人では、そもそも子供を熱心に育てるという概念は無いはずです。
おそらく、母でも1年か2年ほどの世話をする程度であり、出産前後の時期だけ、父とされる男が少し手を貸すかどうかでしょう。
悟空やべジータの、育児や家族サービス放棄を考えると、男は外で戦っていれば良いという事に本能レベルなっているのだと思います。

女性も男と同じように想定すると、女サイヤ人は、13歳から60歳近くまでずっと若く、当然ながら出産も可能です。
なので、女サイヤ人は特定の男を夫としなくても、本当に老いるまでは美しく健康な為、様々な男からのアプローチを受け続ける事ができます。
人間を例にすれば、新垣 結衣は、若く綺麗な女性ですが、サイヤ人の55歳の新垣 結衣は、若く綺麗でエロさに磨きかかった新垣 結衣です。

人間の女性でいえば、16歳から28歳ぐらいがモテ期だとして、その時期を過ぎると焦りが出てきて、束縛を求める事になりますが、サイヤ人女性は、そういう心配は要りません。
そのように考えると、結婚という形式は取る必要が無く、その時に手に入る範囲の強い男、理想の男をを求めていく形になると思います。
つまり悟空とラーディッツは兄弟ですが、父と母が一緒だとは限りませんし、べジータにも、沢山の兄弟がいたのだと思います。



そのような薄い婚姻関係でありながら、それでも女サイヤ人の地位は、どれだけ強い戦士を産んだかどうかになるでしょう。
男より一歩戦闘力が落ちる(悟天とパン、トランクスとブラの違いでみると)女サイヤ人にとって、社会的な地位を築けるのは、そこが大きいように思われます。
本能としても、社会的にも、強い子を産む、という意識が女サイヤ人は高かったと思います。

男女の人口比率だと、実質男3:女7ぐらいになるのでしょうか。
男は戦死する確立が高いので、数が少なくなりますし、また、遠征などに出て、長期間不在になる時期も多いと思われます。
もちろん、遠征に出る女性サイヤ人もいるでしょうが、比率としては少ないのでしょう。
出産時の男女比率は、少ないデータからすると、男3人(ごはん、ごてん、トランクス)、女性2人(パン、ブラ)なので、ほぼ5分ではあると思いますが、様々な点を考慮すると、3:7ぐらいで妥当だと思います。


サイヤ人は血筋でエリートになるか落ちこぼれになるかが決まってきます。
その比率は1割のエリート、7割のノーマル、2割の落ちこぼれ、ぐらいなのでしょうか。落ちこぼれは、戦死の率も高いので、誕生時点ではもっと多いと思います。
べジータはエリート、ナッパはノーマルの上、ラディッツや悟空が、落ちこぼれに入るのでしょう。

サイヤ人女は、強いサイヤ人男を求めることになりますが、強い男サイヤ人の条件は、エリートサイヤ人と、経験十分なノーマル50男サイヤ人となるでしょう。
この男人口として推定2割、全体人口の1割に満たない男が、出産可能時期の女性、女性人口の7割であり全体人口の5割の女性から、熱い視線を浴びます。

全人口を100人とした場合、5万人の男に、50万人の女性が群がります。
そうなると、一人頭10人となりますが、人間の女性の場合でも、1週間以上、他の女性の相手をして放置が続けば、しっかり浮気はするので、サイヤ人女性は、もっと流動的だと思います。
エリートはともかく、一般的には5人程度のサイヤ女の子作りの世話をするのが、いっぱいいっぱいだったと思います。

そうなると、カバーできるのはせいぜい30万人ぐらいで、残りの20万人の女性に、25万人の男が群がるわけです。
それでもノーマル男がが2、3人と女性を確保するので、落ちこぼれ男の分は、なかなか回っては来なかったと思われます。
バーダックは、落ちこぼれの中では、特別に強かったので、悟空の父となれましたが、多くの落ちこぼれは、サイヤ人女性との初体験は30歳以上で、子を残すのは非常に難儀であったと思います。
人間でいうと、戦国時代の一般的な武士の初婚は、男が30歳、女性が15歳ぐらいでしたので、だいたい、同じようなものだと思います。
落ちこぼれは、サイヤ人女性から相手にされないので、他の星の生物との交配に熱心だった可能性はあり、もしかしたら、悟空の母はサイヤ人ではないかもしれません。
そう考えると、悟空の特別な強さや、人間との子であるゴハン、トランクスらの特別な才能に説明が付きます。

ちなみに、べジータなどは、最強の王子でいられたのですから、星が滅びなければ、ブルマ一人とはいわず、50人ぐらいの女性を常に維持できたはずです。
50人の女性に、年30人の子供を産ませるとすると、1000人を越える子供を作れたはずです。
べジータの優良血統の子が、1000人も出来るとすると、通常の星での頂点クラスである戦闘力1万越えがザラになり、ギニュー特戦隊クラスを100組は作れたでしょう。
さらにはスーパーサイヤ人も、30人ぐらい生まれる可能性もあります。
フリーザが恐れるのも、無理はありません。
もしかしたら、フリーザがサイヤ人を壊滅させなかったら、まさしく宇宙はサイヤ人に、べジータとその子達に、支配されていたかもしれません。


以上、長くなりましたが、フリーザ様のおかげで地球は救われたという事で、締めたいと思います。

武田信玄を読む

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新田次郎の武田信玄を読んでいる。

今年の大河ドラマの風林火山は、武田信玄が、小笠原、村上、諏訪氏を攻略し、川中島の戦いで越後の上杉に打撃を与え、信濃の支配権を、確立するまでの話になるはずだ。
そういう意味で、特に上杉謙信がライバルとピックアップされると思う。

ただ、武田信玄の本当のライバルは、織田信長だ。
信濃の支配権を確立してからは、武田信玄は上杉謙信を常に上回っている。
もはや、ライバルと言える存在ではなくなっている。

わずか12年で尾張と美濃を平定し、先に京に上った織田信長。
武田信玄は、西上への道を作るために、上杉、北条を押さえ、今川を駆逐し、そして徳川・織田に挑むことになる。
結果は、徳川を決戦で蹴散らしたが、織田とぶつかる前に、寿命が尽きてしまった。
歴史の残念の一つではある。

その後、武田は滅び、織田も衰退して、徳川が天下を取るのだけど、それは偶然ではないと思う。
軍事も安定経営も抜群だった、秀才的な武田信玄と、革新的な戦略眼を持った、天才織田信長。
その2人に挟まれて、滅ぼされなかった徳川は、その2人のやり方を、よく観察し、それは徳川幕府、しいては日本の礎になっていったのだと思う。
実際、徳川の武将に、甲斐武田氏の流れを組む人物は少なくなく、また、さまざまな面で、信玄流を取り入れている。
武田家というのは、歴史のネタになっているだけでなく、その後の日本に大きな影響を与えているということだ。

さて、武田信玄を読んでいて、面白いのは、その後の歴史の中で、活躍する人物の祖先が見られることだ。
例えば、幕末の時代、会津の松平容保があり、そして土佐には板垣退助がいる。
松平容保の祖は、武田氏の家臣であった保科氏に、徳川秀忠の隠し子を養子として預けた所から始まっている。
その養子である保科正之は、徳川家光から、謹直で有能な異母弟として可愛がられ、それが、幕府を守るという使命を家訓として残す事になる。
それを実戦したのが、松平容保ということになる。

板垣退助は、大河ドラマのキーマンである、板垣信方の子孫と自称している。
板垣信方の嫡流は滅びたが、その孫が、関が原の戦いのときに山内一豊(去年の大河ドラマの主役)の陣に飛び入り協力し、武功をたてて、取り入れられ、そのときに乾と改める。
それが、乾家の始まりであるのだけど、乾退助が薩長軍の司令官として、甲州に入るときに、かつて、武田信玄の家臣だった事をアピールするために、乾を、板垣に戻した。
それだけ、武田信玄というのは、その土地の人間にとって、大きな存在だったのだろう。
200年の時を得て、この両者が、親幕・反幕との立場になるのは、歴史の面白い所ではある。
他には、かの有名な真田幸村の祖父と父が活躍するのも、武田信玄の下での話だ。

歴史とは、年表に貼り付けられるものではなく、連続した人間の営みだということを、歴史小説は教えてくれる。

ご先祖様

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光武帝という本を読んだ。

王莽の新を倒す一つの勢力となって、漢を再考し往時の実力を持つまでに引き立てた、中国でも屈指の人物で、「妻を娶らば陰麗華」や、「柔よく剛を制す」という言葉も残している。
まあ、どれほど凄い人らしかったかは、wikipediaを読むのがてっとり早いだろう。

この光武帝という作品を読み、そして後書きの部分まで読んだときに、非常に興味深い1文を見つけた。
今の日本人の7割から8割は、漢民族の血が、どこかに混じっているというものだ。

この光武帝はキリストと同世代の人物なので、およそ2000年前の人物。
2000年前では、まだ日本では、自国の文化を伝える書物は残っていない。
ただ、この光武帝が倭国(日本)に授けた金印が、後に福岡で農家の人が拾って大騒ぎになった金印であるとされており、古代の日本と、漢民族は交流がなかったわけではないのだ。
ちなみに魏志倭人伝とかいう、割と教科書で有名な、日本についての最古の記述は、三国志の魏国の書物であって、この光武帝は、その一つ前の時代、後漢の創始ということになる。

今の日本に、漢民族が流れてきていたのは、中国でいう南北朝時代の頃までと言われていたように思う。
南北朝時代とは漢民族の支配力が弱まり、南に逃げたして、北方の騎馬民族が、それまでの中国に進出した時代だ。
つまり、この時代から、それまでの中国人は、別の人種になっていく。
だいたい、三国志の時代が終わり、晋が統一しきれず、北方の勢力に領土を奪われ、散々に国が乱れたあとで、隋に統一される頃までが南北朝時代。
教科書で有名な遣隋使の隋は、もう従来の漢民族ではなく、古代の日本に移住した民族の中心は、南方に追いやられた漢民族や、その祖先といえるだろう。

日本に漢民族が流れてきたケースとしては、春秋時代の呉越の戦いによる呉の滅亡で人が逃げ出したとか、この光武帝の時代に行き場を失った集団が逃げ出したとか、あとは秦の始皇帝が不老不死の薬を得る為に大金を渡した家臣が、逃げ出して居ついたのが日本だとか、色々言われている。
ちなみに、呉というのは、孫子の兵法を生み出した孫武が仕官した国であり、今の大河ドラマの風林火山という言葉は、まんま孫子の兵法の1ページであったりする。

日本人の7割から8割が、どこか漢民族の血が混じっているという事が本当ならば、その南北朝以前の時代の漢民族と、日本人は、大きく繋がっているのではないか。
そんな事を考えたときに、すごくドキっとした。
風林火山をはじめとした、沢山の言葉を生み出して今に伝えている春秋戦国時代の逸人も、ゲームでも小説でも大人気な三国志の英雄も、実は日本人の祖先と言えるのではないか。
もしかしたら、その時代の文化は、中国大陸では残らず、日本で育っていったのかもしれない。
それは、天皇というシステムが存在し続けた日本では、十分にありえるものだ。

今まで、中国の事だと思ってい読んでいた、さまざまな古事は、あくまで中国大陸で起こっただけであって、日本人に、そして自分に連なるものなのかもしれない。
そう思うと、なんか不思議なものを感じた。
それが何なのか解らないけど、古代中国小説を読みまくった自分としては、少し嬉しかったかな。

以前も、関ヶ原の戦いについて、ちょっと触れたことがある。
それだけ、関ヶ原の戦いは、インパクトの在る出来事だったという事だと書いた。

最近自宅の古本置き場で発見した、司馬遼太郎の関ヶ原。
25年前のまさに古本で、おそらく父が読本したものだろうが、カバーを付けて読んでみることにした。

関ヶ原〈上〉

今まで、さまざまな人物の視点から、見聞きした関ヶ原であるけど、その参加した脇役とも呼べる人物に至るまで、きっちり書いている作品で、自分の知る限り、関ヶ原をテーマにした小説では、最高峰の作品だと感じた。
こんなものが世に存在し、しかも自宅で25年も置いてあったのかと思うと、それまで読まなかったことが、非常に勿体無い事のように思える。
いや、最近さまざまな作品を読んで、多少成り本を読む力をつけた今だからこそ、面白く感じるのかもしれない。

歴史の教科書を読んでも、関ヶ原の戦いであっても1ページ程度しか割かれないものだ。
だけど、その一つの出来事に、様々な人が必死になって生きた証が溢れている。
それを歴史の教科書は教えることはできないから、だから歴史の授業は面白くないのだろう。

関ヶ原は、自国の歴史の1ページを読むときの、そして人の心を知るときの、一つの教科書として読んでも良い作品だ。
こういう作品と巡り合う事で、歴史を知る事ができ、そして歴史を知る事の意味を、人が生きるという意味を、また一つ理解することができる。

以前も、関ヶ原の戦いについて、ちょっと触れたことがある。
それだけ、関ヶ原の戦いは、インパクトの在る出来事だったという事だと書いた。

最近自宅の古本置き場で発見した、司馬遼太郎の関ヶ原。
25年前のまさに古本で、おそらく父が読本したものだろうが、カバーを付けて読んでみることにした。

関ヶ原〈上〉

今まで、さまざまな人物の視点から、見聞きした関ヶ原であるけど、その参加した脇役とも呼べる人物に至るまで、きっちり書いている作品で、自分の知る限り、関ヶ原をテーマにした小説では、最高峰の作品だと感じた。
こんなものが世に存在し、しかも自宅で25年も置いてあったのかと思うと、それまで読まなかったことが、非常に勿体無い事のように思える。
いや、最近さまざまな作品を読んで、多少成り本を読む力をつけた今だからこそ、面白く感じるのかもしれない。

歴史の教科書を読んでも、関ヶ原の戦いであっても1ページ程度しか割かれないものだ。
だけど、その一つの出来事に、様々な人が必死になって生きた証が溢れている。
それを歴史の教科書は教えることはできないから、だから歴史の授業は面白くないのだろう。

関ヶ原は、自国の歴史の1ページを読むときの、そして人の心を知るときの、一つの教科書として読んでも良い作品だ。
こういう作品と巡り合う事で、歴史を知る事ができ、そして歴史を知る事の意味を、人が生きるという意味を、また一つ理解することができる。

以前も、関ヶ原の戦いについて、ちょっと触れたことがある。
それだけ、関ヶ原の戦いは、インパクトの在る出来事だったという事だと書いた。

最近自宅の古本置き場で発見した、司馬遼太郎の関ヶ原。
25年前のまさに古本で、おそらく父が読本したものだろうが、カバーを付けて読んでみることにした。

関ヶ原〈上〉

今まで、さまざまな人物の視点から、見聞きした関ヶ原であるけど、その参加した脇役とも呼べる人物に至るまで、きっちり書いている作品で、自分の知る限り、関ヶ原をテーマにした小説では、最高峰の作品だと感じた。
こんなものが世に存在し、しかも自宅で25年も置いてあったのかと思うと、それまで読まなかったことが、非常に勿体無い事のように思える。
いや、最近さまざまな作品を読んで、多少成り本を読む力をつけた今だからこそ、面白く感じるのかもしれない。

歴史の教科書を読んでも、関ヶ原の戦いであっても1ページ程度しか割かれないものだ。
だけど、その一つの出来事に、様々な人が必死になって生きた証が溢れている。
それを歴史の教科書は教えることはできないから、だから歴史の授業は面白くないのだろう。

関ヶ原は、自国の歴史の1ページを読むときの、そして人の心を知るときの、一つの教科書として読んでも良い作品だ。
こういう作品と巡り合う事で、歴史を知る事ができ、そして歴史を知る事の意味を、人が生きるという意味を、また一つ理解することができる。

しばらく、宮城谷氏の中国古代の小説ばかり読んでいたのを、塩野七海のヨーロッパ小説を読み始めたのは、ワールドカップの影響だ。
ワールドカップで争うヨーロッパの国々について、正直知識が乏しすぎて、その歴史的背景がさっぱり解らないという事に気が付いてからだ。

塩野七海とは、まともなヨーロッパ小説を書ける、数少ない人らしい。
ネットでそういう紹介文を見つけたので、モノは試しと4冊ほど購入してみた。
10日ほどで、とりえず読み切った。
適当に購入した4冊だったが、今回のワールドカップに随分と、奥行きを与えることになった。

購入したのはこの4冊だったが、いずれもルネッサンス時代のヨーロッパに集中しているのは、単なる偶然だ。
そんな事まで考えて購入はしていない。

チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷
マキアヴェッリ語録
コンスタンティノープルの陥落
ロードス島攻防記

まずは一番上の、チェーザレ様。
チェーザレの名は、週間モーニングに漫画が連載されているので知ってはいた。
時代的には日本では織田信長みたいなもの。
ローマ法王の諸子であって、イタリア統一を初めて意識した人物だ。
そう、この本を読んで初めて、実はイタリアが小国家の連合体だったということに気付いた。
私はイタリアが、ローマ帝国の支配が消えた地を、てっきりスペインやフランスのように新興の中央集権国家を築いたことが成り立ちだと思っていたら、全然違うらしい。

彼は、たった4年でイタリアの中部を尽く支配下に置き、イタリアの統一の地盤を作り上げるが、毒殺だかマラリアで瀕死の重態になり、その間に失墜してしまう。
結局、イタリアは小国家の乱立から抜けられず、統一まで19世紀を待たなければならない。
その小国家の都市が、現在セリアAのチーム名とことごとく被る。
ナポリは、イタリア南部の大国であったし、フィレンツェや、ボローニャ、ヴェネツィア、モデナや、ミラノと、これも全て小国家。
ローマは教皇の自治区であって、ナポリは王国で、ヴェネツィアは共和国と、体制までが違う、全く違う国だった。
それは日本でいう藩にも似ているけど、日本は江戸幕府という枠があったけど、イタリアにはそれは基本的には無い。
本当に別々の国だった。
そんなことは、もしかしたら、当たり前なのかもしれないけど、こういう成り立ちが、サッカーのチームやその応援する街の意識として、残っているんじゃなかろうかと、思うわけでした。

さて、リアリストの思想家、マキアと、世界最強トルコと東ローマ滅亡のストーリーの、コンスタンティは、サッカーと若干関わりが弱いと思うのでここは端折る。

ロードス島についてだけど、これはファンタシー小説でこんなのがあったような気がしたけど、それとは違う、実在の話だ。
当時、ロードス島に巣食っていたのは、キリスト教の聖ヨハネ騎士団。
そのお相手は、イスラム教のトルコ。
東ローマ帝国を滅ぼし、地中海世界の覇者となりつつあったトルコが、キリスト教の最前基地みたいになったロードス島を、陥落させる話。
少なくとも、これだけでも、トルコが当時の世界トップクラスの実力者だったという事が解るはず。
日本人は、産業革命以降のヨーロッパでしかみないけど、それ以前は中東やアジアの方が、ずっと強かった。
そして、そんな世界クラスのトルコと、その時代の日本を比べても、実はそんなに負けてない気もするんだけど、西ヨーロッパ最強の思い込みは、いまだに根強い気がするなあ。

さて、そのロードス島を取られた聖ヨハネ騎士団が、追い出された挙句、辿り着いたのが、マルタ島。
あの、ワールドカップの前哨戦で、日本が苦い思いをしたマルタだ。
聖ヨハネ騎士団が行った当時のマルタは、ボロボロで、人に忘れられつつあった島であったけど、彼らは、そこで不屈の精神で必死に頑張った。
要塞を作って、産業を育て、ロードス陥落から40年後に再び相対したトルコに対しては、今度は追い払った。

そして、マルタに長くいつづけたのだけど、フランスのナポレオンとの戦いでは、今度は戦わずに降伏した。
20万以上のトルコ軍と数千の兵力で戦い抜いた聖ヨハネ騎士団も、その頃の戦闘精神は弱体化していたのかもしれない。
再び追い出された騎士団は、ローマで土地を得て、現在もそれは、小国家として、一部で認知されている。
そして、彼らがいなくなったマルタは、今もその要塞は立派に使われており、その国旗には聖ヨハネ騎士団の何かが使われている。
マルタという国の一つの基礎となったのが、その聖ヨハネ騎士団ということだ。

その後に独立したマルタを、サッカーでは各下と定めて、ボロボロな試合をやった日本。
汚職を騒がれながらも、優勝したイタリア。
今回はワールドカップに行けなかったトルコ。
大会の主役となったフランスと、相変わらずなスペイン。

歴史を知ることで、サッカー観戦は、もっとずっと面白くなると思う。

最近は、古代中国物の小説を読んでいた。
主に、宮城谷昌光の著作を中心に読んでいたのだけど、この著者自体が、中国古代史の変人というべき人のようで、だからこそ、その圧倒的な知識の厚みからでてきたその物語には、説得力がある。

さて、最近読本していたのは夏王朝の時代。
それは、神様が存在する世界。
この著者の小説にも、その神様らしい存在がある。

現代の日本人の感覚だと、それを否定するのは容易い。
それは、今は神様が科学に変った時代だからだ。
だけど、そういう科学がまだ発達していなかった時代、それは例えば一つの風や、太陽の形、そういうものから何かを感じ取る人間の直感というべきものが、驚異的な自然に対抗しうる、少ない手段だったと思う。

夏王朝から殷王朝に変ったのは、記前年1500年ごろと推測されており、殷王朝は神霊で国を運営していた国であったのだけど、その後周王朝の時代になっても、やはり占いのような、神頼みのようなものを頼りにしている。
今現代に住んでいても、そういう神だのみのようなものを信じる人はいるが、やはり人間には自分の力ではどうにでもできないことは山ほどあり、そういうものに対する直感というものは、貴重な能力なのだろう。

今も昔も信じるものが変っただけで、人間の思考回路はあんまり変っていない。
だから、昔の人が阿呆だったと考えるのは誤りであって、古事から学ぶべきものは多い。

今日のダイエット
数値 4.3
アイス食し、運動せずなので、後退ぎみ。

他力という本を読んだ。
家に置いてあったから、つい読んだのだけど、初めて宗教らしいものを知る事ができた。

他力

この本は一応は人生観の本なのだが、宗教本かと思われるほど、親鸞や蓮如というかつての宗教家に関する話を出してきている。
今まで私が宗教だと思っていたものは、ただの形骸にすぎず、宗教というものの本来の存在感というものがなんとなしに理解できた。

その本によると、宗教は合理的な現実とは相反する感情的な理想論という面があるという。
例えば人が落とした財布を拾って交番に届けてあげるとか、そういう道徳感も、宗教的な側面を持つという。

そんなことを考えていたら、宗教なんて関係ないと今まで生きてきたのだけど、宗教らしいものはいくらでもあるもんなんだと思ってきた。
阪神ファンだって一種の宗教だし、動物愛護団体だってそうだ。
ネットでも2Ch教みたいなものもあるし、そんな存在はいくらでもあると思ってきた。

そんな私は何教の教えに影響を受けているのだろうか。
多分、今はハイデフ教になるだろう。
既に信者というより、宣教士をやってるかもしれない。

最近何気なく2冊の本を読んだのだけど、奇妙な共通点を持った本を読んだと感じたので、ここで書いてみることにする。

一つは村上龍の「半島を出よ」
わりとメジャーといえばメジャーな小説で、近未来の日本を描いたリアリティーのあるアクション小説。
もう一つは、石川英輔の「雑学 大江戸庶民事情」
名前の通り、江戸の庶民についてかいた雑学習になるけど、そもそもこの著者は江戸小説を書く人らしい。

さて、全然違う種類のこの2冊の本だけど、テーマが非常に似ている。
それは、今の日本の状況を、別の時代の話を書くことで、暗に批判していることだ。
そして、2冊とも今の日本の状況を批判しているのだけど、その先に向かうべきとする方向が、全く違う道であったりすることだ。

まず、半島を出よの方は、今の日本の弱腰の外交や、政策の未熟さを描きつつ、欧米的な社会への変化を促しているように見える。
北朝鮮のような全体主義に対する侮辱と敬愛が見て取れるのも特徴で、推進派の意見とも言える。

江戸庶民の方は、今の欧米的社会への妄信を憂いつつ、理想的な全体主義はありえないとし、技術の発達や、社会の整備が必ずしも、人間の幸せに繋がらない事を書いている。
例えるなら慎重派の意見といえるだろう。

つまり、一つは、もっとグローバルな感覚をもてと書いているのに対して、ひとつは欧米思考への盲信は危険だと書いていることになる。
それは、技術や文化にしても、同じように語られている。
全く関連なさそうな本で、同じテーマについて逆に書かれているとは、非常に面白い。

さて、この本を読んで私は考えた。
これから先の日本と世界が進むべき場所はどこだろう。

私としては、技術で突き抜けることで、環境問題、食糧問題、経済格差や、異常気象、エネルギー問題、温暖化など、たくさんの問題を解決できるようになることを望みたい。
自然に還れと言われても、なかなか難しそうだから。

それが適わず問題が解決されない時は、やっぱ、どこもかしこも戦争になるのかな?

戦争して、いっぱい人がへっちゃって、宇宙に移民して、そのへんの問題は解決って・・・
なんかこれ、ガンダム・・・・

Hivi Cast買いました。

Hivi Castってのは、AV専門誌のなかで、非常に有名な雑誌がノウハウを込めて制作した、映像と音響のチューニング用DVDソフトです。
これをもとに調整を行うと、同じモニター、同じスピーカーをつかっても、より再現度の高い映像や音声を楽しめるようになります。

私は前々から、チューニング無くして、力は発揮できんよと。
それは、車でも料理でも、女の化粧でも、音響でも同じよと語ってきましたので、こういうソフトは願ったり叶ったりです。

さて、実際に試してみました。

映像の調整に関しては、かなり薄い知識しかなかったのですが、非常に親切で、手順どおりに調整していけば、簡単にチューニングが行えます。
最初に東芝の32インチブラウン管から設定したのですが、さすがブラウン管時代末期に作られたTVだけあって、パフォーマンス的には非常によいものもっているようです。
HiveCast的には良いモニター環境に該当するようで、XBOXと一緒に買った私の目は、腐ってなかったようです。

プロジェクターは、これで調整したあと「バニラスカイ」を見て楽しんだのですが、なんというか大画面と映画の迫力に圧倒されて、効果とか気にしませんでした。
ちょっと女優さんの肌が綺麗だったかなって感じですかね。
多分真剣に見比べれば相当差が出ていると思います。

最後に音響を調整したのですが、全く設定を弄る事なく終わりました。
というか、このHive Castの音響調整方法って、パイオニアのエントリーから中堅クラスのAVアンプについている音場補正機能、「マニュアルMCACC」と全く同じなんですね。

これだと、私のアンプについている、「アドバンスドMCACC(自動補正で最上級、プロスタジオレベル)」の方が、機能として上になります。
そりゃまあ、私がこのアンプの機能を使って、さらに耳で聞きながらスピーカーの位置を数センチ単位で動かしながら定位合わせたんだから、当然の結果なんですけど。
ちなみに、これ使っていないでチューニングをしようとおもったら、HiveCastを使っても3時間ぐらいは軽くかかりそうでうす。
あらためて、我がパイオニアAVアンプの底力を知りました。

そう、最近思っているのだけど、私の部屋の音響が、かなりバランス的に纏まってきました。
本当に音が品がよく、高音も堅すぎず、柔らかすぎず、音の定位もまずまずと、今の所言う事無しです。
といっても、あと部屋に吸音壁ぐらいは付けたいとは思っていますが。


さて、最後ですが、XBOX360ことサブローが発売されるにあたって、高品位なAVシステムを構築する人は、多いと思います。(TVぐらいHDTVにしろって。)
せっかく、そういった機器を買うのなら、チューニングも手をかけて欲しいですね。

何か読んでる人

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電車の中には、さまざまな人間がいる。

寝ている人、話している人、遠くを見ている人と、それぞれが思い思いに演じていて、それぞれの電車生活を、基本的には嫌々ながらも満喫している。

私の電車の中での役は、何かを読んでる人だ。

漫画雑誌は週4冊は読んでいて、アメリカでは漫画読んでるビジネスマンなどいないと言われても、暇なものは暇なので、止める気にはならない。
漫画を読んでいない時は、大抵の場合は小説を読んでいて、読むのに時間がかかる小説だと、あっという間に電車生活が終わってしまう。

そんな私が最近読んでいるのは、歴史小説「平家」(全4巻)

おそらくこれからも書くだろう大河ネタの情報元になるだろう読み応えのある小説で、物語としての展開より、資料から推測される人物像を重視している小説。
根幹の幹以上に細かく枝分かれた、人物一つ一つのエピソードは、歴史好きの人間の心を、これでもかと、満たしてくれる。

一般に伝わる英雄賛歌的な源平合戦も面白いとは思うけど、また違う視点から歴史を見つめたこの本を読むと、この時代についての見方が変わってくると思う。

歴史はいつだって、勝者の歴史で、敗者の歴史は正確には伝わらない。
近い所では、第2時世界大戦の日本だってそう。
イメージに囚われすぎないで、敗者側からの歴史も受け止めなければ、真実には程遠い。
改めて、そんな思いを感じた歴史長編です。

国が二つに分かれて争う時は、大抵の場合、南北で争う事が多い。
多いと断言できるほどの、教養があるわけではないけど、なんとなく多い。
もともと歴史好きな私は、最近は新撰組のような幕末モノをみつつも、実は小説の世界でけっこう南北朝モノに浸っていた。
今のご時世のゲーム業界の話でもそうだけど、やっぱりこういう覇権争いのような話を、人は好きなんだと思う。

南北朝は、ご存知の通り、鎌倉幕府崩壊後の、南朝と北朝の争いの事。
太平記の時代とも言える。
小学校の授業では、北朝の足利が優勢で、その後足利義満の時代に統一したとの括りだけで終わってしまう事が多いのだけど、そんな面白くない話ではない。
いや、そんな暗黒の時代を非常に面白く書いている作家が凄いのかな。

北方謙三 南北朝小説

悪党の裔
陽炎の旗 

楠木正成  (楠木正成と大塔の宮)
道誉なり (佐々木道誉と足利尊氏)
武王の門 (菊池武光と兼良親王)
破軍の星 (北畠顕家)

下の4作品を読んだ。
上の2作品も家にある。

この時代はこんなに面白いんだと確認できた作品をただ紹介してみました。
是非。

気の早い話だけど、来年の大河ドラマは源義経だ。
今の大河ドラマを相当楽しませてもらった自分としては、来年も見ようと決めているが、滝沢君の義経というのが、どのようになるかが気になってしまう。

確かに源義経は若死にしている。
30歳の若さで戦死しているが、それでも滝沢君はまだ20歳。
少し離れすぎていると思う。
それから滝沢君の顔。
かわいかっこよい顔。
義経のイメージとちょっと違う。
義経の母様は、綺麗で綺麗で綺麗な人だったらしいので、義経もそれなりのルックスをもっていたとは思われるけど、なんか違う。

香取慎吾27歳の近藤勇(30歳前後に活躍)のイメージは、けっこう悪くないと思っていた心広い自分からしても、なんか違う。

滝沢君にはこいつで大河やって欲しかった。
北畠顕家
彼の悲劇っぷりが、義経に勝るかどうかはしらないが、天才ぶりと、美少年ぶり、21歳での若死にという事で言えば、義経以上に滝沢君だ。

大河の太平記では、後藤久美子が演じていたほど、その美少年っぷりを認知されている天才公家(武士ではない)で、政治にも軍事にも長けている所が、戦いと女たらしだけが一流の義経とは違う所。
問題は大河で50回もやるネタがなさそう。

そんな彼を描いた小説がある。

破軍の星

三国志以来、私はこの人の作品をよく読んでいる。
ハードボイルドな所と、取り上げる主題がマニアックな所が良い。
南北朝時代の人物を取り上げた小説を、これほどまで書いている人物は少ないだろう。
氏の中では、足利尊氏直義兄弟、楠木正成や北畠親子、大塔宮、赤松円心あたりの評価が高く、新田義貞や後醍醐天皇、その他大勢の北条家や公家の評価が低いことも、一定していて、他の作品で、他の小説の主役が描かれる事による微妙な横の繋がりも面白い。


是非とも北畠顕家を大河で滝沢君にやってもらいたかった。
もちろん脚本は、三谷幸喜で・・・いや絶対無理だ。

歴史は昔から好きだ。
きっかけが、祖父が買ってきてくれた歴史漫画だったか、伊達正宗から見始めた大河ドラマだったか、良くは覚えてないけど、学校で歴史の勉強をする前には、歴史は人が生きた結果なんだっていう感覚があったから、歴史の勉強は苦にならなかったし、今でも歴史小説や史書を読むのは好きだ。

今回の大河ドラマの新撰組は、私の中では非常に高く評価されている。
それは、歴史は人っていう事が、きっちり描かれているから。
人には生まれた環境があって、その中で成長してく過程で、自ずと心の根本に思想を持つようになる。
そうして作られた人が、同じ意志の下に集まって、必死に何かを求めて生きることで、歴史が作られる。
歴史は年表の羅列ではなく、歴史は人なんだと。

最近読んだ本がこれだ。

新撰組顛末記

新撰組顛末記

永倉新八は、新撰組の幹部。
100を越える戦いに生き残った男。
新撰組で、最強の男かもしれない。

そんな人の生き方が見える。
必死に何かを求めて生きた人の軌跡がわかる。

「明治の世は日をかさねるごとに世界的に多忙無実になり、うちわもめばかりを能としておられぬ。」
最後に語られるその淡々として言葉に、何かを感じた。
この本を最初から読んでいれば、きっと何かを感じるはず。

誰にだって、それと似たような経験があるから。

文章は短くて解りやすくて深いのが一番良いと思っているのですが、それを実践するのは結構大変な事で、結局ペラペラで長い文章になってしまします。

最近、某漫画に影響を受けて、一冊の句集に手を出しました。
句こそが、短い文章での表現という事において、もっとも優れた方法だと思ったので、読んでみたいと思ったのです。
種田山頭火という、昭和初期に活躍した自由律の歌人なのですが、その短くも印象的な言葉は、非常に味わい深く、さすがと思わせるものがありました。

山頭火句集

山頭火句集

そんな彼の句に学ぶべく、一句作ってみました。
渾身の一句です。


わけいってもわけいっても黒い箱
                          SUKA


どんな風景が見えました?
パクリ?

歴史は年表を読んで覚えたって勉強にならない。
その時代を生きた人間を知り、その文化や思想・宗教観を知り、その過程と結果を知ることが、歴史の勉強なんだ。

小さい頃からそう思ってきた私は、授業など一切聞かなかったけど、色々な人物史を読む事は結構好きだったし、歴史の成績は悪くなかった。

XBOXのファンサイトとして、たまには人の役にたたないと、サイトの意味ないんじゃないかなと思うところがあるわけではありませんが、XBOXサイトに限らず、様々なサイトを制作する上で、この本を読んでおくと、物凄い役に立つんじゃないかという本がありますので、それを紹介します。

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