かつては美少年と伝えられ、最近は実際はそうでもなかったと言われている牛若丸こと、義経。
真偽の程はわからないが、絶世の美人、常盤の子供にして、絶世の美男子、頼朝の弟ならば、やはり美少年だったと考える方が普通だろう。
そう。
突然さらっと書いてしまったけど、頼朝は絶世の美男子と表される人物だった。
しかも、彼が、征夷大将軍にまでなれたのは、美男子だったからといって過言ではなかった。
時は平治の乱。
13、4歳の少年頼朝は、甲冑を纏って出陣した。
その姿は、まるで絵に書いたような美少年(陳腐な表現でごめん)だったという。
義朝や、19歳の悪源太義平が主力として闘った平治の乱では、彼はまだ未熟で、大した活躍もしなかったが、それでも敗戦して、捕えられてしまったからには、死罪は免れない。
そこで大河ドラマ1話になるのだが、清盛が頭が上がらない女性(忘れちゃった)がいて、その女性が、殺さないでと嘆願したことで、頼朝は死罪を免れた。
その理由は、その女性の末子で、小さくして亡くなった子と顔が似ているからということだった。
実際は似ていなかっただろう。
しかし、美少年頼朝は、その女性の母性本能を頼朝はクスグった。
「あの子に死んだ」
↓
「あの子はまだ小さい可愛い子だった」
↓
「あの子は可愛い可愛いこだった。」
↓
「頼朝って可愛い」
↓
「あの子と頼朝はそっくりだ」
↓
「そっくりだから殺さないで」
似ているかどうかは別として、彼女の頭の中では一致した。
つまり、可愛くて、殺したくなくなるほど華麗な美少年だったのだ。
だから、ドラマのあの少年頼朝は正しい。
あのジャニーズ張りの美少年ぶりは正しいのだ。
そして、中井喜一は決して悪くは無いのだが、大人頼朝の華麗で爽やかで涼やかな美男子からすると、ちょっと弱い。
藤木直人あたりが、適任ではあるのだけど。
さて、時は移り伊豆に流された頼朝は、北条時政の娘、政子と出会う。
ドラマでは、少しづつ仲良くなっていくラブストーリーになっているが、実際は頼朝必死の工作だった。
政子と出会う少し前。
頼朝は、我が子を殺されている。
頼朝の子を産んだのは、北条氏と同じように監視役とされた伊藤氏の、党首の娘。
その娘はもちろん、頼朝の美男子ぶりと、源氏ブランドにコロッといったらしい。
伊藤氏の党首がしばらく家を開けて、帰ってきたら、娘に子供が出来ていた。
留守を任せていた弟は、頼朝の乳母の娘を、嫁さんに貰っていたので、見て見ぬふりをしていたのだが、京帰りで平氏の勢いを見てしまった党首はそうはいかない。
一族の危険を察知し、無かった事にする為に、その子供を川に投げ捨てて殺害。
頼朝も殺害する事にした。
頼朝は生き延びるために、北条氏に逃げ込んだ。
北条氏は、それなりに源氏から恩を受けていた一族だったので、その保護を受けられた。
しかしそれが長く続くかどうかは解らない。
一蓮托生になっておかなければならない。
時政には年頃の娘が2人いて、その一人が政子だった。
頼朝は娘を落として結婚してしまえと考えた。
娘は2人とも、頼朝の美男子ぶりと悲劇っぷりと源氏ブランドに、落ちていたので、頼朝はどちらを選んでも良かったし、両方取っても良かった。(殺されるけど)
頼朝は、政子の母が、今の時政の正妻では無いことを計算して、こっちだったらゴネナイだろうと政子を選んだ。
もちろん政子の方が美人だったという事もある。
晴れた頼朝の思い通りに、北条氏と一蓮托生になることに成功した。
これにて一件落着なのだが、後日談が在る。
なんで妹を選ばなかったのだと、頼政の正室である母は怒ったらしい。
それだけ頼朝は美男子だったということだ。
さて、そんな頼朝も決起する時が来た。
しかし、鎮圧に来た部隊に、ケチョンケチョンに負けて、敗走した。
敗走しながらも、1000人ぐらい集めてなんとか軍勢と言える程度になったころ。
強力な武将が、2万の軍勢をつれて応援に来た。
「担ぐのに取るにたらない奴だったら潰しちまえ」
そんな思惑も無くは無かったが、ここで頼朝と会って、頼朝を応援することとした。
なぜなら頼朝が颯爽とした美男子だったからで、頭に担いでも良い人物だと思ったからだ。
その後は、快進撃を繰り返し、平氏を滅ぼし、ついには征夷大将軍になる頼朝。
その彼が天から得ていたものは、源氏ブランドと、美貌。
そのどちらが欠けていても、頼朝は歴史の表舞台には立てなかった。
冗談ではなく、立てなかっただろう。




義経と頼朝の顔