大河ドラマ: 2004年8月アーカイブ

悲しいという気持ちより先に無力感を感じた。

大河ドラマ新撰組。
幕末という時代の作品は、多くの人が死ぬことが運命づけられていて、大抵の場合、自分はそれを先に知っている。
今までも何度となく、運命づけられた死が描かれていたが、今回ほど心を抉る感覚を感じることは無かった。

大河ドラマは長い。
普通のドラマは11回で終わってしまう所、山南は登場以来30話近くに渡って存在感を示しつづけた。
そんな人物が、突如として作品から消えることになった。

私が感じた無力感はなんだったのだろう。

山南をこれから見られないという事への寂しさだろうか。
望まずとも失ってしまった経験を隊士と重ね合わせていたのか。
今後の組織の崩壊を暗示している事を、私は知っているからだろうか。

作品は残りは20話を切り、今までに集まった同士や、作り上げてきた組織は、崩壊の一途を辿っていく。
立上げから見守っていた人間として、何か切ない気分になっていくが、それが今回の大河ドラマ50話の見せ方であり、私はそこに引き込まれた蛙と言った所だろう。

いずれにせよ山南は、完璧なまで山南で、最後まで山南だった。

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