人について: 2011年10月アーカイブ

祖母の為のメンテナンスというか、手伝いというか、たまに、そんなのしてるんだけどさ。

高齢者には、自分に見合った生活システムを作る能力が無いから、どんどん状況が悪くなる。
そんな事がわかった。

生活システムって書くと、解りにくいんだけど、普段やっている掃除、収納、買い物、料理、そういうリズムというか、ルーティンがあるよね。
そのルーティンを保っていると、それなりに綺麗で快適な状態をキープできる。
綺麗で快適な状態だと、生きること自体が楽しくなって、活発になるよね。
そういうのを、自然に修正しながら継続していくと思うんだけど、その修正能力が落ちるという事。

流れを説明すると、こうなる。

身体が弱体化する。

若い頃だったら使えた収納場所が使えなくなる。そのまま、そこにあるモノは一生使わない不用品になり、収納場所はデッドスペースになる。

若い頃だったら使えたモノが自力で使えなくなり、とりあえず通販に煽られて別のものを買ってみる。

モノが溢れるが、不必要なものを捨てる能力も整理する能力も無く、収納場所も使えないから生活空間に侵食し、ごちゃごちゃになる。

ごちゃごちゃなのを見て、嫌になってきて、どんどん気力が失せる。


こうなると、家の中は不用品だらけ、使えないものだらけ。
思い出が沢山残ると言ってしまうと聞こえは良いけど、実際に思い入れがあるものなんて極僅かで、はっきりとモノに潰されてしまう状態になる。

モノは、生活を豊かにするし、生活を快適にする。
それはモノを自力で使う事できて始めてそうなるって事だ。


祖母と話しながら、どこまでが自身で生活システムを維持できるのか、どこが破綻しているのか、そういうのを見定めて、たびたび修正している。
その修正は、それなりに力仕事、体力仕事が多く、それに理論的に真剣に考えなきゃいけなくて、実際、そういうを誰かがしてあげないと、自力では出来ない気がする。

そんなロジックが祖母以外の高齢者の間でも、起こっていると思うんだけど、どうなんだろう。

介護、介護というけれど、行政の言う介護の発想は、本当に疑問があって、なんでも他力で助けてあげますよって感じがして、未来も何も幸福も何も感じない。
それは、自分のイメージだけなのかもしれないけど。

その一歩手前で、高齢者自身が、モノを使いこなし、保てる状態を作る作業をしてあげれば、それは、高い効果を上げられるんじゃないかって思っている。
だって、モノを使いこなす事は、自分で何かを達成する事で、それは幸福の一つだと思うから。


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