人について: 2005年6月アーカイブ

とあるファンサイトで、ライバルの話が出たときに、中立な立場ぶって批判の理論を展開したがれば、それだけで話は荒れる。
それは当然のことだろう。
中立な仮面というのは、他の立場の人間からすると、それだけで異分子に見えるからだ。

さて、批判するという行為は、非常に簡単な行為ではあるが、批判を受け入れさせるという行為は非常に難しい事だ。
なぜならば、批判を素直に受け入れるほど、人間は馬鹿でも利口でもないからだ。

例えば、無理解の論拠の薄い批判をした場合、当然のごとく、理論で打ち負かされる。
無理解の部分を正論で塗り替えられ、その批判そのものの説得力を底辺まで突き落とす。
それで終わりだ。

では、理論が完全に一致した批判をした場合はというと、今度は感情論からの反撃に合う。
切り口はどこにでもあって、批判者そのものを貶してみたり、理論と実際の違いを語ってみたりと、それはそれで凄いパワーをもって、理論自体を埋れさせる。
それで終わりだ。

では、どうすれば、相手が納得する批判を展開することができるのかという事になる。
多種な方法が考えられるが、私だったらこうする。

・どちらかの立場に立っている事を明言する。
・理論より経験からくる感覚を重視して批判する。

要するに、相手の立場とかそんなものは一切気にせず、堂々と批判をすれば良い。

XBOXが楽しかったからサブローはめちゃくちゃ期待している。
PS2は似非スペックばかりで、実際やってみた時に感激しなかった時、嫌いになった。
そんな私は、相変わらずそんな空気がプンプンするPS3には大きな不安がある。
実際と合えば誉めてやるけど、前回の責任者のコメントも玩具批判みたいで嫌いだし、やっぱり嫌いになりそうだ。

と、こんな感じで、言ってしまえばよい。
人の経験の話と実際の話なので、理論的にひっくり返すことは出来ない。
もちろん、これを返そうと思えば、そのままの言葉でそっくりと返されるだろうけど、その時に理論が交わる事は無い。
交わることが無ければ、それはそれで正論だと認識させることはできる。

批判は認識させれば勝ち。
それ以上の成果は求めるべきではなくて、相手がそんな意見もあると捉えればそれで良い。
無理に同意を得たり、勝利を収めようと思うから、おかしくなっていく。
そして、同意を得るために中立な仮面を被ろうとするから、もっとややこしくなっていく。

極論をいえば、インターネットの掲示板の文章なんて、書きたいように書ければそれで満足するもの。
そしてほんのちょっとの同意を感じられれば、それで満足するもの。
論争をしかけた時点で、敗北は決まっている。

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