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利巧

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関ヶ原の小説を読んで、一つの言葉に対して、なるほどと納得した。

利巧

賢そうな印象を持つ言葉だが、その言葉を見ると、利が巧いとなる。
つまり、知恵の在る無しよりも、利に聡いかどうか、そういう事になるだろう。

敗北を覚悟しても、どうしても世の流れに乗って、利を選ぶ事ができなかった義の男、石田三成。
そんな三成に、やはり負けると解っていても忠義を尽くした島左近や、一緒に死ぬ子を選んだ大谷吉継。
そういう人間は、利巧とは呼べないかもしれないけど、数百年経った今でも、その生き方を好きだという人は多い。
人間は、なかなか利だけを巧みに生きていけないという事だろう。

さて、ゲーム業界の話となると、やはり企業であるから利は当然あるとしても、それぞれメーカーのスタンスが良く見える。
最も利巧なメーカーであるといえる、コナミは、XBOX1の時は、さっさと日本を撤退して、海外だけで販売をしていた。

そのコナミは、今度はWiiの勢いを見て、PS3を見限り始めたから、さすがコナミは利に聡い。
世界で1000万台を販売しているXBOX360は、既に利益ベースの台数を持ちつつあり、Wiiの勢いは日本でも北米でも、非常に大きい。
先行もしておらず、年末一番売れなかったPS3は、見込みがないと判断されたのだろうか。
既に5本程度のコナミのソフトが、販売中止と噂されているようで、さしづめ、コナミとは、戦国時代の大名としては、強い所に付く名手、京極高虎あたりであろうか。
ウイイレが来年PS3ででるかどうか、それが一つのポイントではあると思うが、ウイイレだけを出して、他は出さないという、そういう小遣い稼ぎが最も高い可能性として考えられる。

これは、ソフトにファンをつけているメーカーの強みであって、そうでない例もある。
過去には、あるハードで人気があったことを自らを過信して、利を取って、他のハードに出したとたんに、そっぽ向かれて落ちてしまった、ゲームアーツなどもある。
弱いハードで出す事を義として感じている人間から支持をされていたのが、一気に離れてしまったということだ。
人の心は、とても複雑だという事だろう。

私は、あまり利巧な人間ではなさそうだ。

こんな類の話を書くためにも、XBOX公式サイトを辞退したってのもあるのですよ。

世の中には、精神が狂ってしまった人はわりといる。
この精神が狂うという状態にもいろいろあるが、まずは、先天的な物と、後天的なものがある。
先天的なものは、どうもこうも言える代物ではないのだけど、何らかのことで後天的に狂ってしまうことは、けっこうある。

人は肉体に大き過ぎるダメージを受けると、完全には治らないことが多い。
同じように、精神に大きすぎるダメージを受けると、やはり完全には治らない。
小さいダメージで、短期的に精神が正常を保てないことは、まま日常的にはあるのだけど、大概はある程度まで回復する。
その精神にダメージを与えたものに対して、ある種の反応は残ることにはなることにはなると思うけど、大筋では平気だ。
だけど、大き過ぎる精神的ダメージを受け、そのケアが上手くいかないときは、精神が正常な状態には戻らず、いわゆる狂ってしまう。
ケアが上手くいけば、ある程度まで回復するものも、そうでない場合だってある。
それを精神病と呼ぶかどうかは別として、そういう状態になってしまうことは、誰にでもあることだ。

一度、本気で精神が狂ってしまうと、それ以前のその人物、いなくなる。
つまり、その人は、ある意味で死んでしまって、別の人間になってしまう。
それが人が変わったような状態であるならば良いが、実際に人が狂ったような状態になる。
狂ってしまうと、およそ正常な人と思えない思考回路になり、見た目にも明らかな廃人となっていく。
この世界には、さまざまな価値観があるので、何が正常かどうかは解らないが、やはり狂っている状態というのは、狂っているとしか言いようが無い。
そして、その狂った状態がどこまで正常と呼ばれる状態に戻れるのかは、実際に私が知りたいことでもある。

その精神が狂ってしまった人間が、危険かどうかは、わからない。
ただ一ついえるのは、正常な精神を持って犯罪を犯す人間の方がよほど怖い存在ではある。
だから、狂っているからといって、無闇に彼らに危害を与える側になる必要は無い。
基本的に、精神が正常でないだけであって、正常でないことが危険かどうかは別問題だ。
下手な挑発をしなければ、狂っているからといって、危険なわけではないと思っている。
ただ、これも狂い方によるので、凶暴な人間として狂ってしまった人間は、これには当てはまらない。

ここまで、狂ってしまった人間について私の見解を書いてきたが、要するには、狂ってしまう可能性は誰にでもあることを言いたい。
そして救うチャンスは、狂い始めの頃にあることを言いたい。
何が精神のダメージを与えていて、だから何をすることで救えるのか考える必要があると言いたい。
その救うチャンスを逃し、精神を追い詰め続けると、限界を突破してしまい、その精神は死んでしまってもう帰って来ない。

ゲーム機はゲームをする為の道具である。

楽器は音楽を奏でるための道具であって、包丁は料理をする為の道具だ。
TVは映像を映し出す為の道具であって、ホームシアターは劇場音楽を家庭で楽しむための道具だ。

さまざまな道具にとって、一つ共通して言える事がある。
多くの道具は、使う人間の技量によって、その実力を大幅に上下させる。
つまり、使う人間によっては、どんな素晴らしい道具でも、その真価を発揮する事ができず、使う人間によっては、かなり劣った道具でも、ある程度は有効に活用する事ができる。
もちろん、その道具を使える人間は、そんなに劣った道具をわざわざ選択するような事は無い。

そう考えると、道具というのは、その選択から使用まで、その使用者の技量によって姿を変えていくものなのだ。
同じ道具でも使い方によっては人を傷つける道具にもなり、平和に貢献するための道具にもなると言われる事もあるが、それもやはり使用者によって姿を変える一例だろう。

最近はデジタル機器など呼ばれるものも増えて、道具も多少なり複雑化してきているのは解る。
ゲーム機だってその一つではあるのだが、何も感覚的に理解できない人にとって、全てのデジタル機器は、導入当初は、まったくその実力が出せない可能性はある。
それはメーカーも努力している部分でもあり、多機能差で比較したがる人間が増えていった結果の弊害であるとも言える。
しかし、だからといって、その道具の実力を発揮する事ができなかったときに、全て道具のせいにするのはどうなのだろうか。
道具を使う技量も知識も無く、それを身につけるためのほんの少しの努力を怠って、それで道具が悪いと決め付ける。
そんな人間は少なくは無い。

ゲームが好きな人間は、イメージとしては悪いかもしれないが、この点においては非常に強い人種だと思う。
もともと苦労して挑戦して覚えながら、そのゲームを攻略していくのを娯楽としている為、デジタル家電だろうが何だろうが、使いこなす事に長けている。
長けているというのもあるが、その道具の実力を発揮できるかどうかは、使用者の問題という認識を持ちやすい人種だとは思う。
昨今の焼き増しだらけのゲームを専門的にプレイするユーザーは兎も角として、新しいゲームをプレイし続けるというのは、多分な努力と労力と挑戦心を必要にするものなのだ。

さて、書いているうちに主旨がぶれてきてしまったのではあるが、つまりはこういうことだ。

フグを食う馬鹿、食わぬ馬鹿。
自分で割いて当って死んで、人のせいにするのが真の馬鹿。

死んだら人のせいにはできないけどね。

某BBSで笑えるアンケートへの反応があったので書いておく。
阿呆ですか?と率直な一言を添えておく。

それは次世代機の期待度をデータとして表したというアンケート。
XBOXの次世代機は2%です。
調査は1年前行ったという。

そこには阿鼻叫喚の図が。
賢い言葉で当然だねと語ってみたり、データが間違っていると指摘してみたりとそれぞれと。

少し考えれば解る。
1年前のアンケートが、何のデータになるのだろう。
次世代機の発表される前にアンケートとったら、現行機のシェア通りになるに決まっているじゃない。
そんな当然の事に、反応するほうがおかしいと思う。
そもそも1年前という部分を読み落としているのだと思うけど。
(記事自体にも悪意と無知は感じたけどね)

アンケートなんてものは、その時勢そのタイミングで変わってくる。
これがXBOX360発表後に、その会場で行ったら、数値は全く変わってくる。
そんなものだ。

マーケティングで劣っているといわれるメーカーは、古いアンケートを参考にする。
アンケートからの流れを読み取るのではなく、アンケートの結果という過ぎ去った時点の点から判断する。
そして流れを誤って、売れない商品を作ってしまう。
そんなものだ。

電化製品のような移り変わりが激しい物の判断に、1年前のアンケートは全く役に立たない。
リアルタイムの声を、貪欲に取り入れなければ流れをつかめない。
それでいて瞬間的な声を信じすぎてもいけない。
そんなものだ。


とりあえず、今回の趣旨としては、話を読まないで直感で書いてしまうのが、ネットの掲示板なんだなとあらためて知った次第でありますと言った所ですか。

ゲーム関連の掲示板とかには、当然特定のハードが好きな人間もいるわけで、その中で自分の好きなハードを応援するときに、ハードのスペックや、画質などを持ち出す人間は多い。

そういう人間が、たとえばXBOXを応援していて、現行で最高スペックだとか、最高画質だとか最強のゲーム機だと誉めるのは解る。
私だって、そのような人間だから。

ただ、そのような人間が、いまだにHDTV対応TVどころか、D2端子も付いていないようなTVを使っていたと解ると、どうも違和感を感じてしまう。

私の感覚だと、音楽にしろゲームにしろ、環境とソフトが整ってこそ、製作者の意図する表現を堪能できるのであって、特にスペックを求める方がゲーム好きを自称するなら、TVモニターぐらい、それなりの物を使っているのが当然なのだから。

それは、映画が好きな人間が、映像や音楽の表現美を語りながら、15インチのブラウン管でインターレスの映像をコンポジット出力で映し出し、音かノイズか分からないような付属のスピーカーを使ってモノラル音声で見ているといったら、オカシイ話だという感覚と同じようなものだ。

私の感覚はズレているのだろうか。

別に、大金かけてハード重視のAVマニアたれと言っているわけではないけど、たとえば映像の基準を語るなら、あまりに酷い映像環境に身をおいて語れるものではないと思う。
酷すぎる性能のパソコンを使って、ネスケの4.7を最高だと化石パソコンマニアが語るぐらい、説得力の無い発言であると思う。


さて、そんな感覚の私だけど、今までゲームのレビューなどを色々書いていて、映像美とか、そのあたりを語ったことは非常に少ない。
なぜなら、私程度の知識と環境しかもたない人間が、それを語るのはおこがましい事だと思っているからだ。

知識や経験という裏付け無しで、なんで大きな声で物事の優劣を語れるのか、不思議でならない。

とあるファンサイトで、ライバルの話が出たときに、中立な立場ぶって批判の理論を展開したがれば、それだけで話は荒れる。
それは当然のことだろう。
中立な仮面というのは、他の立場の人間からすると、それだけで異分子に見えるからだ。

さて、批判するという行為は、非常に簡単な行為ではあるが、批判を受け入れさせるという行為は非常に難しい事だ。
なぜならば、批判を素直に受け入れるほど、人間は馬鹿でも利口でもないからだ。

例えば、無理解の論拠の薄い批判をした場合、当然のごとく、理論で打ち負かされる。
無理解の部分を正論で塗り替えられ、その批判そのものの説得力を底辺まで突き落とす。
それで終わりだ。

では、理論が完全に一致した批判をした場合はというと、今度は感情論からの反撃に合う。
切り口はどこにでもあって、批判者そのものを貶してみたり、理論と実際の違いを語ってみたりと、それはそれで凄いパワーをもって、理論自体を埋れさせる。
それで終わりだ。

では、どうすれば、相手が納得する批判を展開することができるのかという事になる。
多種な方法が考えられるが、私だったらこうする。

・どちらかの立場に立っている事を明言する。
・理論より経験からくる感覚を重視して批判する。

要するに、相手の立場とかそんなものは一切気にせず、堂々と批判をすれば良い。

XBOXが楽しかったからサブローはめちゃくちゃ期待している。
PS2は似非スペックばかりで、実際やってみた時に感激しなかった時、嫌いになった。
そんな私は、相変わらずそんな空気がプンプンするPS3には大きな不安がある。
実際と合えば誉めてやるけど、前回の責任者のコメントも玩具批判みたいで嫌いだし、やっぱり嫌いになりそうだ。

と、こんな感じで、言ってしまえばよい。
人の経験の話と実際の話なので、理論的にひっくり返すことは出来ない。
もちろん、これを返そうと思えば、そのままの言葉でそっくりと返されるだろうけど、その時に理論が交わる事は無い。
交わることが無ければ、それはそれで正論だと認識させることはできる。

批判は認識させれば勝ち。
それ以上の成果は求めるべきではなくて、相手がそんな意見もあると捉えればそれで良い。
無理に同意を得たり、勝利を収めようと思うから、おかしくなっていく。
そして、同意を得るために中立な仮面を被ろうとするから、もっとややこしくなっていく。

極論をいえば、インターネットの掲示板の文章なんて、書きたいように書ければそれで満足するもの。
そしてほんのちょっとの同意を感じられれば、それで満足するもの。
論争をしかけた時点で、敗北は決まっている。

最近はPS3だのサブローだのと、BBSなどで議論が白熱しているようですが、どれも主題を外れて、頭カッカで書いているだけで、あんまりにも面白くないのが、残念であります。
当たり前ではあるのですが、議論は主題にそってやるものであって、粗を探して突っ込み合いをするものでも、頭を怒らせてするものではありません。

結局の所、自分のオリジナルの考えも言葉も無いから、人の発言に食って掛かることしかできないのでしょう。
論拠のなく、空気の読めない批判だけするのは、幼稚園児でもできる、非常にレベルの低い行為なんですが、BBSという空間において、ままそうなってしまう事は、ネット7不思議の一つといえるでしょう。

さて、議論として成立するための、最低限の約束は、主題にそって行う事と、書きましたが、次に大切なことは、人の話を読むことでしょう。
読むというのは、字を見るだけではなく、相手の思考を読むことが大切です。
人が違うと、同じような主題でも見地が違ってきます。

同じ書き方で書いた文章が、同じ意味を持つとは限りません。
相手がどの視点に則って話しているかで、返すべき言葉は変わってしまうので、まず相手の思考に則って、主題を推し量る事が大切です。

例えば、小さくまとまったクランのような集まりのホームページでは、議題が振れることが少ないというのは、相手を知っていることで、返事が正確に出せるからという面もあるのでしょう。
(うちのクランのBBS

自分と同じ言葉を同じ解釈として、相手も持っていると思うのは、傲慢としか捉えられないのです。


最後にですが、今回の主題は何でしょう?

擁護するつもりは無い。
多くの人間の命が失われたことを考えれば、そういう気持ちにはなれない。
しかしながら、今回の事故の原因というものを追求すると、必ずしも責めきれない気持ちもある。

列車事故の話だ。

今回の事故の真の原因は金。
つまり利益。
利益優先に走ったことで、安全対策に弱さがあり、それが結果として事故に繋がった。
それは責められてもしかたない。

しかしながら、だからといって、例えばユーザー(お客に)安全対策の為に、もう少し運賃を増やすと言ったら、受け入れるだろうか。
素直にお金を出してくれるだろうか。

決してそうではない。
こんな事が起こった後では違うかもしれないが、基本的に困らない限りは、お金をださず運営を望む人は少なくない。

たとえば、同じ商品を購入する時、かたやサポートをしっかり行う店と、かたや怪しいネットの安売り店でも、人は安心感には金を払わず、サポートをする店でも同等の金額でないことを責めたりする。

そういった、一時的な値段に目を奪われている状態が続いていくから、会社はサービスの質を落として、利益確保に走る。
このスパイラルを作っているのは、実はユーザー自身ではある。

別に安く買うことを責めているわけではない。
例えばXBOXのゲームだって、安く売っていたら安くかえば良い。
だけど、回りまわって、質の落ちたサービスを受ける事になるのも、やっぱりユーザー自身。

安全に金を払わないユーザーが、その状態を創り上げていく。
それを忘れていてはいけない。

安全は金で買う。
金がかからない安全は、そんなに無い。

人は、真実よりも嘘の方を簡単に信じる。

真実の理屈を話して信じさせるより、相手のイメージに添った嘘を話して信じさせるほうが、簡単という事だ。

これは、真実というものが、その人のイメージから離れている事が多く、直感で感じて解りやすい方を信じてしまう事が理由に挙げられるのだけど、それだけ、物事の本質を理解するのが難しいという事にもなる。

だから説得力を持って、相手を納得させたい場合は、相手の力量ではこう信じているだろう事を探って、相手のイメージを否定しないように、話してあげれば良い。
例え、それがイメージから来ている嘘だと解っていても、それを表に出すのはこの場合ご法度だ。

といっても、私は、あまり嘘をつくのが好きではない。
嘘が下手なわけではないのだけど、どうにも多用する気にはなれない。
誰にでも解るようなデタラメを書いても、誰にも解らないような嘘は、なるべく使いたくないし、だから、相手が不快を感じるだろうと思われる真実も、平然と言ってしまう事が多い。
そういった行為が、逆に相手に信頼できない嘘付きだと感じさせる事になると、理解していてもだ。
やりたくないものは、やりたくないので仕方ない。


そんな事を書いてる私だけど、私なら真実を見抜けるという事ではなく、やっぱり説得力ある嘘は信じやすい。
寧ろ、疑うことをあまりしないので、私は基本的には何でも信じやすい。
そうやって、誰の言葉でも普通に信じるので、たいていの場合、解釈のつじつまが合わなくなり、結果として、いろいろ詳しく調べて、真実の妥協点を探すことになる。
これは、一応は表面的に信じるけど、さほど深くも信じないという私の性格を現しているのかもしれない。
とりあえず、これが私が真実を決める為の方法。


掲示板の質疑応答を見ていると、イメージから来る嘘を、断定的に答えているような事を見かける。
故意にやっているかどうかは兎も角として、お互いそれで良いのかなと思ってしまう。

多分、それで良いのだろう。
相手にとっては信じたものが、真実なんだから。

嘘は本気でつけば真実になる。
一辺の曇りなく嘘をつけば真実になる。
信じるものは救われないけど、信じている間は救われている。

私の持論なんだけど、人を非難する発言をする時ほど、安易には行ってはいけないというのがある。
まず自分の名を名乗り所在を明かにして、その発言の責任の所在を明かにしなきゃいけないと思うし、具体的事実の裏付けなしで、非難して良いというものでもないと思っている。

人は基本的に感情の生き物だから、感情論で瞬間的に突っ走って起こすエネルギーは小さく無い。
ただ、その時に発生した負のエネルギーをばら撒いて、無責任に人を非難する行為を行う事は、人として狭量であると思う。


で、ここからが本題です。

私の所属クランが、2Chで軽く話題に上がってました。

バンザーイ!!
これでまた、少しは知名度あがるのだろうか。
でも、ホームページアドレスが記載されていないのが不満です。

私の所属クランは雲湖椿狆ですよ。
ホームページはコチラですよ。
管理人は私ですよ。
私の中で、このページの1コンテンツ扱いだから、オフィシャルファンサイトですよ。(多分)
でも、オーバーロードは私じゃないですよ。

ええと。
私は無責任発言者に叩かれても、別段痛くないですから。

今日テレビで病院についての、お金のシステムの特集を見た。
さすがに、テレビらしく脚色が酷く、治療を受ける側が安ければそれで良いという事に、特化させた内容だったので、正直真面目に働いている人には、可哀相な内容ではあった。
いつだって、テレビの視点は一部の事実であって真実ではない。

根本的な問題としては、少しの病気でわざわざ病院まで行く方が間違っている。
そこで一人の人間の病気を見ることで、何人の人が動くという事を考えれば、その体制をどうやって維持するかという事を考えれば、お金が絡むのは当然。

病気の治療の基本になっているのは、人間の自然治癒能力。
怪我の治療も基本は同じ。
だから人は、自然治癒が限りなく低い歯の治療の為に歯医者には行かなきゃならないわけ。
つまりは、自分の勉強不足を補う為と、安心感を買うために、殆どの場合は病院へいくわけだ。

風邪を引いたら、ビタミンCを採って寝てれば治る。
オレンジジュースを飲んで寝てるのが一番簡単に治る。
軽い怪我をしたら、消毒をちゃんとすれば治る。
清潔にしておけば、特に問題なく治る。

薬を人間を治す魔法のように思っている人間って少なくないんだよね・・・ってのが今回の趣旨の一つ。

といっても大きい病気や怪我では、何ともならないことが在る。
自然治癒能力の低い幼子だと、事情が違う事も無くは無い。
そこでお金を払って、病院へ行くわけだ。
そこはボランティアじゃないから、出費は仕方ない。

まあ、それは良い。
自分で勉強して金を払わないのも、自分で勉強しないで金で解決するのも、それは人それぞれ。
そして、素人治療が怪我の元というのも真実で、その境を見極めるのは自己責任。
それは社会では万事が万事。
ただ、お金を払って「騙された」と思う人間がいたら、それは筋違い。


本当の話、無知で自分で勉強しない人間ほど、他人にクレームしたがるんだよね・・・っていうのが今回の趣旨の一つ。


そして今回の内容で一番面白かったのはこれ。
人が動くのにはお金がかかる。
人が動く為の技術を身に付けるのにはお金がかかる。
そのことを一番よく知っている人間が、同じ事を病院が行ったら「えー」という溜息を上げる事。
まあ、その溜息と驚きの症状に、私達はお金を払っているんだものね。

人を笑わすのも、人を救うのも、赤の他人が行うならそれはサービス。
そしてサービスにはお金がかかるのは当然。
しかしそのカラクリを見抜けずに、本気にする人間は沢山いるんだろうなあと。

そのタレントさんの技術に拍手喝采!!・・・ってのが今回の趣旨のもう一つ。

ということで。

「このサイトはマイクロソフトのゲーム機XBOXの応援サイトです。」

このフレーズは、このサイトを作成して、続けていく中で、何を目指しているのか忘れない為にトップページに張られる事になったのだけど、自分に限らず人が何かを応援する理由って、何なんだろうと考えた。

そのきっかけになったのが、新撰組を見ていた時にでてきたシーンで、ついに永倉や原田が新撰組を去ってしまったのだけど、そこで斉藤一が吠えた。

「俺は一人になってもこの旗を守る。この旗が俺を拾ってくれたんだ。」

大河の彼を一年近く見つづけてきたけど、彼が吠える程感情を表に出したのは初めてだった。
それだけ彼は新撰組を大切に思っていて、浪人として果てるかもしれなかった命を救ってくれた新撰組に大して恩を感じ、そしてその旗が輝きを失わない事をのぞんでいるのが、ひしひしと伝わってきた。

彼は新撰組を応援していた。
彼が感じた恩を返し、彼の居た場所を守る為に。

人が一番恩を返したいと思う相手は、命の恩人だと思う。
それは、単に生死という意味だけではなくて、見失った心を救ってくれた人や、力を取り戻す言葉をくれた人に対しても、心の死を救ってくれた人だと言える。

「ゆっくりと死んでいくだけだったオレの心は生き返ったんだ。おまえのおかげでな。幸福というのはこういうことだ。これでいい。気にするな。」

これは有名な漫画の中に出てきた一セリフだ。
心を救ってくれた人と共に戦い、ついに力尽きてしまったの人が、最後に語った言葉だ。
人が人の為に何かをするというのは、人から受け取った何かを返そうとする為なんだろう。

XBOXは私の命の恩人とまでは言えない気がするので、命を賭けて守るとまで、宣言する事はちょっと難しい。
だけど、いろいろな楽しみを与えてくれたこのXBOXというハードには、感謝をしている。
そして、これからも何か楽しいことを提供してくれることを望んでいる。
そういう想いがあるから、応援することができるのだろう。

応援は何の見返りも無くするものじゃない。
何かを求め、何かを返す為に応援するんだと思う。

「このサイトはマイクロソフトのゲーム機XBOXの応援サイトです。」

文章が、意図しない方向へ進むことが多い。
意図しない方向というより、主旨と全く違うように取られてしまう。
これは、私の書き方が、直接的では無くて、どうとも取れるような間接的な表現になる事が多いからかもしれない。

今回も、相手を叩こうという意図も、対立したつもりもないのに、そう取られてしまった。
ネットの複数人のコミュニケーションでは、相当に頭に血が昇っている相手には、本当は、無視を決め込むのか、適当にぼやかすのが、正しい対応方法だと解ってはいる。
実際に私もそうやってたんだけど、それで今度は無視されていると相手が不平不満を喚いていたので、書いてあげたほうが親切なのかと、わざわざ時間をかけて書いた。

ケンカ売ったわけでもなく、ただ「それは上手くないですよ?」と言いたかっただけで、文章も直接的に責めるように取られないよう、それ相当の逃げ道を用意したつもりだった。
しかし、結果として、私が叩いて相手が去るという形になってしまった。
結局私が望んだ方向と別の方向に向かってしまったのは、非常に残念だ。

ネットでの言葉は、顔が見えない分、10倍ほどキツク見えてしまう。
普通の言葉では、相手に対するプレッシャーが強くなりすぎてしまう。
相手を尊重する意味で丁寧に書くより、優しく隙のあるような書き方でないと、この類の文章は成り立たないのかもしれない。
今回の失敗の根本はそこに在るような気がする。


私は基本的に、個人攻撃の文章を書くケースは非常に少ない。
いつだって、自分の意見を主と書いていて、相手に頭ごなしに押し付けたり、罵り返そうとうはしていない。
その中に自分の意見を理解して欲しいという要求は当然あるけれど。

相反する意見についても、理解した上で、自分なりの見解を書いている。
相容れない所は相容れない、同意できる所は同意と書いている。
その中で、相容れない理由をこと細かに書いている。
脱線して、違う方向に飛んでしまう事も、ままあるけれど。

それは別に批判しているわけではない。
怒っている訳でも無い。
私は、決して埋められる事が無い、お互いの思考のベースは絶対に存在すると思っていて、その中でお互いの考えを出し、お互いの抱いている考えを、互いが認識できれば良いと思っている。
答えは一つでは無くて、お互いが自分の考えを出し尽くしたところで、終われば一番良いと思っている。
そして、これが相互理解のための、一つのプロセスだと思っている。
ブロッグのトラックバックなどは、それが本当に上手くできる可能性を持っているのだけど。

しかし、実際はそうならないことも多い。
少しでも自分の意見と反すると、人格を否定されたと感じるのか、その後で主旨と全く関係無い個人攻撃が返ってくる。
それこそが、相手の意見に対して、失礼ではないのかと私は思っているが、相手からすると、違う意見を書くこと自体が失礼なのかもしれない。


いつのまにやら長くなり、この文章の趣旨が、さっぱり見えなくなったので、要点を。

個人攻撃はしていない。
誰も否定していない。
貴方を否定していない。
どんな意見も十分に一意見として尊重している。
だから真面目に書いている。

皆違うんだ。
それが当たり前なんだ。
それを忘れると、殻に篭ったようになっちゃうんだ。


これ要点だけで、文章成立したんじゃ・・

世の中には沢山のクレームがある。
あれができない。
これができない。
これが悪い。
あれが悪い。

その中の多くのクレームは無知によって生まれる。
私は知らない。
でもこうなんだ。
できないんだ。
とにかくおかしいんだ。

無知な人間ほど、原因を理解できず、原因究明に協力せず、それでいて要求だけは高い。
そういう人間は、人にやってもらって当たり前だと思っている。
少しは自分で解決しようと思わないものか。

世の中には、サポートする場所が沢山あるけど、そういう所の人は大変だろう。
本心ではこう言いたいと思う。

「おかしいのは貴方自身だ。」

サポートを受けるときは謙虚に、そして冷静に。
そうすれば問題は解決する。
例え本当に問題が起こっていても、一番早く解決する。

私はサポートに対応を要求して、要求を通せなかった事が無い。
そして、サポートに怒った事も無い。
自分で調べて徹底的に裏を取っているから。

すんなり進むよ本当に。

人間は本能に縛られる生き物だ。

本能とは、人間が存在してから、今まで種を維持してきた経験を元に構成された、存続の為のプログラムだ。
人間の本能は基本的に自分と自分の子孫を守るようにできているように思う。
もちろん、それは全ての生き物に当て嵌まるものではない。
人間は本能的に私利私欲の強い生き物なのかもしれない。

何気無い生活の中で、ある人間の行動パターンに、興味を感じた。

人間は、綺麗な場所は、綺麗なままにしたいと考える。
人間は、汚れた場所は、どんどん汚しても良いと考える。

言われれば納得できる行動パターンだと思われるが、これも本能からくるプログラムによって、生まれた行動なのだろう。

両極端な行動を本能が訴える理由の仮説を立てた。

衛生環境が悪いと、病魔に襲われやすいという経験を本能が理解している。
他者(異性)に対してのアピールの1つとして、本能が理解している。
生活空間の合理性を望むような形の本能が働く。

どれが正解かはわからない。
しかし、綺麗な場所を維持する事も、汚れた場所を作るのは確かだ。
だから、古代の人間達も貝塚を作りゴミを集め、今の人間もゴミが投げ捨てられている所には、躊躇なくゴミを投げ捨てる。

人間はつくづく本能に縛られる生き物だ。

だから、自分の部屋はいつも綺麗にしておかなければならない。
汚いままにしておくと、さらに汚くされてしまう。
それに慣れてしまうと、どうでも良くなってしまう。
そうならないように、汚す本能に負けないように、いつも綺麗にしておかなければならない。

昨日、部屋の大掃除をしながら、こんな下らないことを考えていました。

ドラマといったら大河ドラマぐらいしか見てない最近の私ですが、K-1やプライド、サッカーや野球といったスポーツは結構好きでいて、選手達の頑張りに、密かに感動していたりします。

競い合いをするプロのスポーツは、勝者と敗者が明暗を別つ厳しい世界ですが、そういった中で選手達が勝利を目指して努力し、全力で戦う所に惹かれるのだと思います。
勝者を賛美して、敗者を貶めるというだけの見方をするような、そんな狭量な寂しい人間には、なりたくないものです。

最近は、社会においても勝ち組と負け組みのような区分けをされる時代になってきました。
少し前までは、そんな言葉を聞かなかったのですが、今や社会やメディア全体が、それを煽っているような状況で、勝ち組を賛美して、負け組みを貶めるような雰囲気を漂わせています。

スポーツの試合の勝ち負けと、社会での勝ち負けでは、意味が違います。
社会での負けというのは、生活に関わる問題、つまり生死にかかわる問題です。
勝ち組が生まれるのは、それはそれは結構な事ですが、半数が負け組みとされてしまう社会は、幸福なのだろうかと考えてしまいます。
自殺者の増加や、治安の悪化が、いつ負け組となってしまうか解らないという、息苦しい殺伐とした空気と、関わりが無いと誰が言えるのでしょうか。

全力で地道に働いても、幸せになれない社会の形は、これからもっと厳しくなり、マネーゲームに勝利した一部の人間だけが勝ち組とされ、その勝利をつかめない者は、罪だと言わんばかりに負け組と呼ばれる。

私は勝利も敗北も望んでいません。
他人を蹴落として生きていこうとは思っていません。
だけど、人間らしい生活を送る為に為に敗北は許されない。
多くの人もきっと、同じような思いで、勝ち負けの評価を突きつけられ続けているのでしょう。

私は勝ち組と負け組という言葉が嫌いです。

先日ニュースを見ていたら、全く逆の形で子供の命が奪われた悲しい話題が二つ続いて放送されました。

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