自分根源: 2004年8月アーカイブ

俺がご先祖様から頂いた物は、生命と姓名くらいなものだ。
莫大な遺産とか、高い地位とか、そんな物があったような雰囲気はあったけれど、今はそんな物は持ってないので、どうにも頂けるはずもないだろう。

生命は兎も角として、姓名はご先祖様から貰えなかった方も当然いる訳で、それを今自分が持っている事には、感謝をしなければならないだろう。

今の姓名の名は親から頂いた物であり、姓氏がご先祖様から受け継いだ物で、それは父方の系譜から来ている。
家系図は、どうやら戦時中に燃えてしまったようだが、江戸時代に書かれた免許皆伝の書簡が残っているので、今の姓氏としての俺の家系は、それなりに古くから存在していたのだろう。
法律として姓氏を名乗る事が庶民に一般化したのは明治以降であり、それ以前に公に名乗る事を許されたのは、一部の人間であったからだ。

これに関してはここに面白い事が書いてある。


さて、そんなご先祖様は、仙台辺りから川越に移ってきたお殿様に仕えたと前に書いたが、これに丁度当て嵌まる人物は確かにいた。

川越藩の松平康英という人物だ。
陸奥棚倉(東北)から転封になって、川越藩の藩主になったくだりからみても、ほぼ間違えないだろう。
この松平家は、それ以前にも、転封を繰り返しており、溯ってみると、徳川家康の家臣、松平康親まで行き当たる。
ご先祖様が、どこの段階でこのお殿様に仕えたかは解らないけど、俺のルーツは苦労人の藩主に仕えたお侍で、その頃からこの姓氏を名乗っていた物と思われる。
それ以上の事は、調べても解らなかったので、いつから俺のご先祖様が今の俺の姓氏を名乗ったのかはなんとも言えないものだ。


話は変わるが、今の俺の姓氏は旧字を使用している。
つまり死語を使っているという事だ。
この旧字か新字かという所での歴史は、さほど古くない。
第2次世界大戦後に湧きだった自国文化の批判の風潮に影響を受けた、国による漢字の制限により、現行の字として認定されなくなったのが旧字である。
その時には約5万時と言われた漢字が、1850字程度に削られており、その流れとして、漢字の全撤廃を狙っていたようだ。
しかし、そんな事にはならず、簡略化されすぎた今の中国語や、漢字を捨ててミットモナクなってしまった今のハングル文字のようにならなかった事は、なんとなく良かったと思う。

この時に認定された漢字が当用漢字といい、俺が学校で習ってきたのも、殆どこの当用漢字が中心になる。

なぜ俺の祖父や曾祖父が、新字を用いなかったのかは解らないが、そのおかげで、何となく威厳を持った姓氏になっているような気がする。
家系を重んじたというよりも、新字の方が格好悪いので、旧字を選んだのだろう・・か?
まあ、俺もそれで良かったと思う。


また話は変わって、俺の姓氏の全国的な認知度を調べてみた。
178万人のデータを調べたというここのページでは、占有率のランキング7000~8000番に入っており、姓氏が30万はあると言われる事を考えると、そんなに珍姓という訳でもないようだ。
しかし、48種の苗字で25%。268種で50%、1346種で75%と考えると、そこそこマイナーな部類に入ると思う。
実際自分のランキングから、50000番まででは、9%も無いのだ。
48種に入る方には悪いが、なんとなく優越感に浸らせてもらうとしよう。


そんな訳でお盆という事で、なんとなくご先祖様について調べてみたら、恐ろしく長い文章になってしまった。
数日かけて乗っけた方が良かったような気がする。
それから、いつもの一人称である私を、今回は俺と書いたのは、その方が、自分の身内を語るには、合っているような気がしたからだ。

当たり前過ぎる話なのだけれど、ご先祖様がいて、親がいるから、今ここに自分が存在している。
それは、実験で誕生した試験管ベービーでなければ、ほとんどの人間が同じ過程を辿っているはずだ。


先日、俺を存在させた人間達のことを、祖母から聞く機会があった。
どこまでが真実が定かではないけど、こんな感じだった。

父方の先祖は侍だったらしい。
松平性を名乗るお殿様に仕えていたらしい。
そのお殿様が仙台から川越あたりへ移ったときも一緒についていったらしい。
神道無念流の免許皆伝を持ち、お殿様の剣の師範をやっていた人もいたらしい。
相当な地位を持っていたのではないかと思う。

祖母方の先祖は平家の残党だったらしい。
江戸時代の後期には東京ドームが幾つか建っちゃうような土地を持つ大地主だったようだけど、100年程前に、道楽で大半を無くしてしまったらしい。
豪族の一派であったのかもしれないとの事だ。

母方の先祖は町人だったらしい。
商売が繁盛し、そこそこの地主になったけど、先代が商売下手で、殆ど食いつぶしてしまったらしい。

祖父は、豪快な遊び人だったらしい。
カダルカナルなどの、東南アジアの戦線を、重症を負いながら生きた人らしい。
怪我を負った人間でなくても、斃れていった悲惨な東南アジアの撤退戦で、生き残ってくれたことこそが、最も俺の存在に大きく関わっていると思う。


聞く限りでは、今は亡き俺のご先祖様達は、実は結構金持ちで偉かったようだ。

さて、俺の代は、大丈夫だろうか?
放蕩で、食いつぶしたとか、子孫に言われないだろうか?

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