世俗: 2006年6月アーカイブ

人間の能力は、人間が生きるために身についたものだ。

努力して、夢を掴んで、前に進んでいく事が生きることだ。
というのは、後から勝手に人間が作り出した物だろう。

もともと、相当長い間、人間は自然と戦い、何とかその日を暮らしながら、子孫を残していくという生き方をしてきた。
そして今でも、世界には夢はもてないが、その日生きる努力して、何とか生き繋ぐような生き方をせざる得ない人が山ほどいる。

別に夢を持ってだとか、自分の存在価値を見つけてだとか、それが悪い事とはいわない。
ただ、人間は生まれた時から、生きるという究極の目的を持って生まれている。
生きているだけという事が、どれだけ大変な目標なのかは、他の生物、貧しい国に目を向けて、すこし想像すれば解るだろう。

努力して、夢を持って人間の繁栄に貢献した人が、歴史には山ほどいる。
そのおかげで、今の人間があるのだけど、その影では、別の生物の衰退に繋がっている。
そして、その繁栄の負の部分もずいぶん見られるようになってきている。

例えば、今の繁栄の多くが過去からの資源に頼っている現在、予想されるその欠乏に対しての、次のエネルギーが確立しなければならない。
過去のエネルギーを使い切ってしまったら、それだけで今の人間の人口はキープできなくなる。
また、さまざまな環境変化で長い間の自然が作り上げたバランスは崩れてきており、そのしっぺ返しが、どれだけのものになるかも解らない。
それは、努力して、夢を持って人間の繁栄に貢献した人達が招いた弊害というべきものでもある。

これから先、人間は1つの岐路に立たされると思う。
一つは自然のバランスををできる限り崩さぬよう、短期的な繁栄を捨てること。
そしてもう一つは、自然のバランスを、完全に人間がコントロールできる位、技術を高めていくこと。

どちらになるとしても、ただ人口が増えて、技術が進歩するだけでは、人間は大して幸福にはなれなかったのは確かだ。
夢を持って人間の繁栄に貢献する人には、そのどちらの岐路に立っても大丈夫なような世界にして欲しいものだけど、その努力が己の短期的な儲けにしか繋がらなければ、人間の歴史からして近い将来の衰退は免れないだろう。

だからというか、その日、その日をだらだら生きるという生き方は、そんなに悪くないんではないかと。
それだって、生きるという究極の目標は達成しているのだし、薬にはならないけど、毒にだってならない。

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