随分前のことになるが、イラクの自衛隊派遣に自分は賛成すると、つらつら書いたた事がある。
それは、イラクの支援に最も自衛隊が適した集団だと私は思っていたからだ。
思いつきで書いた訳ではない。
私の中の、さまざまの考えが絡み合ってそういう結論になった。
私は基本的には平和主義者であって、別に軍事主義者な訳ではない。
ただ、話し合いで世界が平和になるなんて奇麗事は信じていない。
平和を壊すのが力なら、平和を守るのも力。
それが全てでは無いけれど、それを除いて実現する平和など無いと思っている。
私は力で解決する事は嫌いで、力を奮うつもりは無い。
だけど、自分や自分の大切な者が、悪意のある力により危険な状態に陥ったら、それは話は別だ。
その時は力で相手を傷つける事を躊躇はしない。
いつだって人を傷つけるという罪を背負う覚悟はしている。
戦後の復興というものが、スムーズにいくはずが無い。
独裁者が捉えられれば、その国は平和になる。
なんて思っている奴が、多分一番安易に平和論を唱えるのだろう。
良くも悪くも独裁者は国をまとめる。
そのカリスマを取り除いてしまえば、どうなるかは、簡単に解りえる事だ。
日本が敗戦後大きな内乱が起こらなかったのは、一重に天皇陛下というカリスマがいたからに他ならない。
今回のフセインのように、徹底抗戦を呼びかけたまま囚われてしまったら、混乱の極みに陥ってしまったはずだ。
天皇陛下は象徴で、フセインは独裁者。
捕えないわけにはいかないのだけども。
世界中の人たちが同じように分かり合える。
なんて思った事は無い。
常識も感覚も、国が違えば相当に違う。
それが当たり前の事で、自分の感覚を勝手に押し付ける方が可笑しい。
海外の人間と、まともに話した事が無い人間こそが、そんな幻想を抱くのだろうと思う。
イラクで、また日本人の誘拐事件が起こった。
武器を持たず、心が通じ合えば相手も危害を加えてこない。
それが平和なんだと思っていたのだろうか。
自分の命を懇願する人間は今のイラクに行ってはいけない。
戦地へ行くという意味を、真摯に考えられない人間は行ってはいけない。
何が起こってもそれが今のイラクの常識。
10万人の人間が殺されていれば、そのへんの日本人を殺す事を躊躇うと思う方が可笑しい。
書いている間に事態は進展した。
今回のことは残念であったとは思う。
ただ、無謀としか思え無い行動には、残念だけど同情はしない。
なるべくしてそうなっただけの事。
最初から自衛隊しかなかった。
自分の身を自分で守ることが出来る力があり、命を捨てる覚悟が当然の事として要されている人間の集団は。
そして、自衛隊に出来なければ、それは誰も行かない方が良いという状態だという事になる。
今はそういう状態になりつつあるのかもしれない。
平和を保つのは言葉ではない。
乾きを癒し体を清める水。
空腹を満たし力を与えるパン。
雨風を防ぎ快適な眠りを得る為の家。
生活物資を手に入れための流通。
収入を安定して得るための職。
そして悪意ある力を抑える為のもっと大きな力。
それが揃わなければ、平和は実現しない。
平和は奇麗事で保たれるわけではない。




平和