記憶

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一番最初の記憶ってのは、なんだったかと考える。

幼稚園の入園式の事は覚えてる。
入り口でチャリに轢かれそうになった。
自分としては完璧に避けたつもりだったので、実際怪我とかはしてない。
3歳と8ヶ月ぐらいの時の記憶はあるってことだ。

そのちょっと前にバイオリンを始めてる。
初回のレッスンで、ラミレソの音を聞いて、それで音の高さを習得した事を覚えてる。
その音をずーと覚えてて、楽器のチューニングも耳でやってたから、そんときに絶対音感というものを習得したってことになる。
最近は、ちょっとずれてるけど、7年も楽器弾いてなきゃね。
といっても、正しい音程の楽器であれば、ちゃんとわかる。(安い電子楽器はズレまくってるから、音階を聴いて把握しないと、半音ずれる。)

その半年ぐらい前に、兄が既に同じ幼稚園に行ってて、その祭りに行った記憶はある。
水風船釣りとか、そういうのをやって、できなくてブチ切れたりしたような気がする。サービスで貰ったかどうかは覚えてないけど、帰りには手に持っていた。
入園者だけにジュースが渡されて、それが貰えなかったからブチ切れた気がする。
なんか良く解らないけど誰かがくれて、満足したのだけど、どうやら周りの人間が気を使って、貰えたらしい。
という事は、3歳になった頃の記憶はあるってことだ。

初めてかどうかは知らないけど、金を渡された時の記憶はある。
祖父の家で、兄だけがアイスを食していたのに、ブチ切れて「兄も買ってきたから、自分で買って来い」となって100円を渡された。
近くの店に行って、アイスを覗いた所、50円のアイスしかなかった。
おつりという概念を知らなかったので、「100円じゃ余ってしまってもったいない。この世の中なんて不便なんだ」と思い、アイスを2本買ってきた。
帰ってから、「兄はちゃんとお釣りを貰って来た」と言われ、初めてお釣りというものを知った。
その幼稚園に入る前の自分は、お釣りは知らなかったけど、50円が二つで100円という事は知っていたらしい。

自分の記憶にある自分は、最初から日本語を全て理解していたつもりだったし、お金の計算も簡単なものなら、出来ていた。
右と左は理解してなかったけど。
そんな自分が英語が未だに理解できないのは、なんでだろう。

自分の最初の記憶は何なんだろうって考えたけど、それはあいまいすぎて覚えてない。
ただ、どうにも天才だったことは確かなようだ。
3歳児ってのは大人から見ると、そんな事を考えているようには見えないけど、記憶をたどっていくと、そんなものなんだと思う。

そしてその最初の記憶のもっと前、その意識はどこにあったのだろう。
何も無かったのか、それとも、別の生物として人間として、ちょうど死ぬ所だったのか。
前世があるって信じてるわけじゃないけど、この意識が消えたときは、ほんとどこに行くんだろ。

同じタイトルのものを、mixiに書きつつも、こっちはもっと本音で書こうと思います。

最近は、レインボーシックスベガスという、ある専門雑誌で、超高評価を取ったゲームをやってました。
今まで、日本人には受け入れられないとされてきた、リアル系のFPSというジャンルで、高い評価を得ているってのは、それは理由があるわけで、さすがに出来が良いわけです。

むしろ、今まで評価されないのが、おかしいって感じで、私にとっては今更感が漂ってはいますが、とにかく、SONY贔屓で、SONYだとプラス1点XBOX360はマイナス1点は見なければいけないとされてきた専門雑誌で、9.9.9.9の36点という評価は、大したものだと思います。
なにかあったのかな?と感くぐってしまうぐらいに。

アマゾンのレビューだと、XBOX360版が絶賛、PS3版はXBOX360版が無ければ絶賛って感じみたいですけど、このゲームをやる分には、的は得ているとは思います。
私が調べた限りの情報だと、まだ未発売のPS3版は、XBOX360版に比べて極めてお薦めが出来ないソフトに仕上がりそうです。
HDMIでつなげたいという方ならともかく、それ以外の部分がまるで駄目そうです。
コントローラーに振動が無い、ネットでは協力プレーが3人まで、(XBOX360は4人)、ネットでの対戦プレイが無さそう(XBOX360は14人対戦)という状況になりそうで、海外メーカーが、PS3はXBOX360の劣化版と位置づけているというのは、あながち嘘ではなさそうです。

話し変わって、昨日は、カタンという、テーブルゲームの世界で一斉を風靡したゲームが、オンラインで話しながら遊べるようになったんで、それをやってました。
話すってのは、文字チャットじゃなくて、IP電話ですね。
カタンは、カタンでカタンなので、つまりはカタンなのですが、さすがに、良作と呼ばれるテーブルゲームってのは、シンプルで奥が深いもんです。
このボードゲームってのは、一番面白いのは目の前の人間4人と、一緒にやることでしょう。
人間の顔、そして声、そいういうものに色々な心理が表れるので、そこを考慮できるようになります。
まあ、やりすぎると、関係悪くはなると思いますが。
XBOX360だと、会話だけにはなりますが、交渉や口三味線など、会話できるからこそやりやすい事は少なくは無いと思います。
このゲームを一度テキストチャットでやったことはありますが、いまいち深い心理戦は仕掛け難いし、駄目ですね。
今回は1000円ぐらいで買えて、しかもやり放題なので、けっこう重宝しそうです。

両方とも、どちらかといえば、マイナーになるんですけど、面白くないメジャーなゲームしかしらないで「最近のゲームってつまんねえ」って思ってるなら、やってみて欲しいって所です。
なんでって、別になんでもないけど。

ベガス
http://www.ubisoft.co.jp/r6v/index.html
カタン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%81%AE%E9%96%8B%E6%8B%93%E8%80%85%E3%81%9F%E3%81%A1

書き易いというだけで、最近mixiにばかり書いてたので、こっちに転載します。
mixiではタテというニックネームでやってますのでよろしく。

ついでに、mixiらしい文章を書くのは縛られてるように感じて嫌なので、そういう空気は一切考慮せずに書いてます。

4/17  春は読本

竜馬が行くに手を出してしまった。
全部で8巻あって、今3巻。
ってことで、しばらくは、幕末かぶれになる予定。
これでまた、別の本を読むのが遅れる。
歴史小説を読み出すと、だいたいmonoマガジンが溜まっていく。
ま、しょうがないな。
武田信玄よりも読みやすい感じだから、大して時間はかかんないだろうけど。
1冊2時間ぐらいかな。
司馬遼太郎は、今まで4作品程度しか読んだ事なかったけど、一通り読んでみようかな。
やっぱ、読みやすいし、面白いわ。

意志力って本を読んだ。
どんな本かと思ったら、組織をどうやって良くするかの話だった。
概要は、一人一人の意思を殺さない事が大事だってことだった。
なんだ、自分が絡んでやってるLIVE!チームの運営方針と変わらんじゃん。
まあ確かに、その界隈で日本でトップクラスに、大きくて、活発で有名なチームにはなってるわけだけどさー。
ってことは正しいってことね、この本は。
までも、実際こういう組織って、会社とかだと、相当に上がカリスマ能力者じゃなきゃ無理だと思ったってのもマジ。
人を抑えて統制するのは、人を解放して統制するよりも、100倍簡単だからね。

4/18 飲食店

すし屋、定職屋、カレー屋、ラーメン屋、焼肉屋ってのはある。
酒屋、漬物屋、乾物屋、米屋ってのもある。
はては、空気屋に、水屋ってのもある。

こんだけあって、なんで日本の食卓の主役は無い?

味噌汁屋ってのは駄目なんだろうか。

職人が作る、超うまい味噌汁に、ごはんとか漬物を付ける。
10種類の味噌から、その日の気分でチョイスする。
オプションとして、シーチキンとかも付ける。
駄目かなあ味噌汁屋。

同じように、納豆屋ってのは、駄目ですか?

2007年04月24

あいかわらず竜馬がゆくを読んでいる。
そろそろ4巻も終わり。
最後の結末が見えているので、あんまり早く読むと、この幕末の世界との付き合いが終わってしまう。
でも、続きが気になって、読んでしまう。

その小説の一説に書いてあった文で、その4巻を書いていたのは、昭和35年だったという事がわかった。
昭和35年というと、この竜馬が行くの執筆が始まったのは、ほとんど50年前になると思われる。

幕末は140年前で、司馬遼太郎は50年前。
自分が生きていく長さだけ、幕末は遠くなっていく。
そう考えると、幕末という時代の距離を、少し考えなおしてしまう。
10歳の時の自分と、今の自分では、50年、100年という感覚がまるで変わって来ている。
本当に、近い時代のことだったんだと、今更ながらに思う。

小説の中で、幕末と比較に出しての、戦時の上層部批判が起こっているのだけど、この昭和35年という時代を考えると、とても理解できる。
幕末の志士並みに、苦しい激動の時代を生きてきた人なんだなと。
小説には、必ず作者のそういう思いが現れてくるものだ。

歴史は、その時代のその人が、何かを求めて生きる所から始まる。
そして時代は流れ、その人の活動が、様々な形で伝わっていく。
その伝わったものと、伝えた人の思いを汲み取って、また別の時代の視点で、評価を修正してく。
それが歴史というもの。

その時代に行ったことが正しかったかどうか、それは誰にもわからない。
今自分がしていることが、正しいかどうかだって、本当はわからない。
100年後、1000年後でないと、本当の評価は下せない。
それが歴史というもの。

だからこそ、その時代を生きた人の匂い、そしてそれを書いた人の匂いがする歴史小説は、非常に興味深い読み物。
人間は、しょせん人間を超えられないから、昔の人間から教えられる事は、とても多い。

今話題の有機ELTVを見てきた。

こりゃいいね。本当に綺麗で薄くて軽そう。

それで思った。
将来的に安くなったときの話。
部屋に1台は当たり前。
一部屋にTV複数台の時代になるね。

□■□
■■■

こーんな風に、37型ぐらいのTV4台を壁に配置してね。
任天堂DSとゲーセンのレースゲームをくっつけたみたいな配置にして。
メイン画面を横に広々させて、上の画面には情報表示。
そんなのが、あたりまえになる。
・・・とは、全然思ってないんだけど、本当それができそう。

特にゲームだと、今でも3画面で遊べるようなシステムってあるから、そういう事ができそう。
ゲームじゃなくても、2画面は違うアングルの野球を見て、1画面はニュース配信させて、1画面は、画家の書いた絵みたいのを映しとくとかね。
野球1画面サッカー1画面、その選手データやらで2画面とかやらで、できる事って色々多いと思う。

今自分の部屋では、モニター3つ(PC2つでTV1つ)使ってて、PCは二つ使っていると、一つに比べても、全然便利なんだけど、そういう事って、TVでもできるんじゃないかなーとか思う。
あんだけ、軽くて綺麗だったらね。

そんな可能性を感じました。

とまあ、私の願望はともかくね。
これが、PSPみたいなゲーム機や、PC、その他色んな所に使われ出すと、本当に今までと違う世界になるって思った。

あと、車のスピードメーターを、液晶TVにしてしまうっていう技術も紹介されていて、ちょっと驚いた。

ELだけってわけでなく、モニターってデバイスは、高画質、軽量、省電力って方向に向かっていくはず。
そして、用途によって、画面サイズが分かれる事になるはずだ。
モニターの画質は、2011年を前に、一般的には、差が解らないレベルにまで上がってしまうはず。
測定レベルやマニアレベルでは、兎も角として。

そこで、フルHD以上を売りにするメーカーが現れるか解らないけど、それが、本当に大画面(60インチ以上)以外で需要を持つとは思えない。
そんなときに、どうやって差別化をしていくっていうと、ユーザービリティと、アフターサポートぐらい。
あとは、新しい提案をしていくしかない。
ネジ一本で壁に3台つけてしまうって、そんな提案ができたら魅力だろうなあ。
特に、ゲーマーにとっては。

ディスプレイ展の話でしたよ。

武田信玄を読む

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新田次郎の武田信玄を読んでいる。

今年の大河ドラマの風林火山は、武田信玄が、小笠原、村上、諏訪氏を攻略し、川中島の戦いで越後の上杉に打撃を与え、信濃の支配権を、確立するまでの話になるはずだ。
そういう意味で、特に上杉謙信がライバルとピックアップされると思う。

ただ、武田信玄の本当のライバルは、織田信長だ。
信濃の支配権を確立してからは、武田信玄は上杉謙信を常に上回っている。
もはや、ライバルと言える存在ではなくなっている。

わずか12年で尾張と美濃を平定し、先に京に上った織田信長。
武田信玄は、西上への道を作るために、上杉、北条を押さえ、今川を駆逐し、そして徳川・織田に挑むことになる。
結果は、徳川を決戦で蹴散らしたが、織田とぶつかる前に、寿命が尽きてしまった。
歴史の残念の一つではある。

その後、武田は滅び、織田も衰退して、徳川が天下を取るのだけど、それは偶然ではないと思う。
軍事も安定経営も抜群だった、秀才的な武田信玄と、革新的な戦略眼を持った、天才織田信長。
その2人に挟まれて、滅ぼされなかった徳川は、その2人のやり方を、よく観察し、それは徳川幕府、しいては日本の礎になっていったのだと思う。
実際、徳川の武将に、甲斐武田氏の流れを組む人物は少なくなく、また、さまざまな面で、信玄流を取り入れている。
武田家というのは、歴史のネタになっているだけでなく、その後の日本に大きな影響を与えているということだ。

さて、武田信玄を読んでいて、面白いのは、その後の歴史の中で、活躍する人物の祖先が見られることだ。
例えば、幕末の時代、会津の松平容保があり、そして土佐には板垣退助がいる。
松平容保の祖は、武田氏の家臣であった保科氏に、徳川秀忠の隠し子を養子として預けた所から始まっている。
その養子である保科正之は、徳川家光から、謹直で有能な異母弟として可愛がられ、それが、幕府を守るという使命を家訓として残す事になる。
それを実戦したのが、松平容保ということになる。

板垣退助は、大河ドラマのキーマンである、板垣信方の子孫と自称している。
板垣信方の嫡流は滅びたが、その孫が、関が原の戦いのときに山内一豊(去年の大河ドラマの主役)の陣に飛び入り協力し、武功をたてて、取り入れられ、そのときに乾と改める。
それが、乾家の始まりであるのだけど、乾退助が薩長軍の司令官として、甲州に入るときに、かつて、武田信玄の家臣だった事をアピールするために、乾を、板垣に戻した。
それだけ、武田信玄というのは、その土地の人間にとって、大きな存在だったのだろう。
200年の時を得て、この両者が、親幕・反幕との立場になるのは、歴史の面白い所ではある。
他には、かの有名な真田幸村の祖父と父が活躍するのも、武田信玄の下での話だ。

歴史とは、年表に貼り付けられるものではなく、連続した人間の営みだということを、歴史小説は教えてくれる。

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