世界地図を眺めて

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最近mixiにも日記を書くようになった。
もともと360SNSにも書いているので、これで3箇所になる。
適当な日記を書いているつもりが、書き始めると恐ろしいほどに長くなったりもする。
そうすると、ここに書くものが無くなる。
こまったものなので、ここに同じ内容のものを書くこともあるという事をお許しください。

さて、本題。

google mapができて、今まで、地図を見たくても、なかなか丁度良いのがなかったのが、本当に楽になった。

そんな世界地図を眺めながら色々考える。

世界4台文明に代表される、文明が早く発祥した地は、主に中華世界と、地中海世界だ。
この二つの世界を地図上で眺めると、大きな違いがある。

それは、一つは大きな国であり、もう一つは複数の国であることだ。

どちらも他民族が、ある一定の広さの土地に住み着いている。
それは同じなのに、違う形になったのが、非常に面白いところだ。

考えるに、理由のその一つに、統一王国が出来たことと、できなかった事が挙げられると思う。

そもそもの中国は、独立した諸侯の親玉的存在が、王として号令するといった形だった。
その周の時代になると、諸侯もそれぞれの地域に根ざし、王のような権限を持つようになり、多数の国ができる。
その多数の国の争いは500年以上も続いた。
お互いの国境に長城を築いて、防衛をした。
中国は、れっきとして別の国が多数存在していたということになる。

しかしながら、かの有名な秦の始皇帝による統一が全てを変えた。
それまでは、例え国を滅ぼしても、その文化の根底から奪うような事はなかったのだけど、秦の政策は全く違った。
文字を統一し、貨幣を同じくし、法律を同じものにした。
同じ仕組みの中で、中華を支配した。
これにより、皇帝というものは、そういうものだという認識が生まれたのだと思う。

しかも、秦は統一後15年で滅ぶのだけど、皇帝を継いだのは、劉邦だった。
今まで、500年、いやもっと長い時間の中でできた、価値観、血筋、そういうものは、これによって、全部崩れ去った。
なぜなら、劉邦は、高貴でもなんでもない、チンピラ上がりの人間だったからだ。

その後の中国は、統治者が出ると、まったく別の国として、中華世界を支配するというのが通例となっていった。
秦が統一してなければ、今の世界地図も、まったく違うものになっていたかもしれない。

ヨーロッパはそうはならなかった。
ローマ帝国は盟主的な形であって、その崩壊後は、主に民族が国をまとめる原動力になっていった。
オスマントルコの勢いも西ヨーロッパまでは届かず、スペインと神聖ローマ帝国を支配したハフスブルク家も、フランスやイタリア都市国家を統一する事はできなかった。
それにオランダやポルトガルは、民族運動によってできた国だ。
貨幣を同じにし、流通ルールを同じにして、それができたのは、つい最近のこと。EUになってからだ。

アジア大陸の両極にある中国とヨーロッパ諸国。
これからの世界を引っ張るといわれている。
そして、その両脇にいる中華やEUから、すこし外れた日本とイギリス。
それはいずれも、アメリカの同盟国でもある。

地図というのは面白いものだと思う。

ミクロな立場から

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祖母の視点から見た第2次世界大戦というのがある。
祖母はその時代に生きていた人間であって、いわば戦争の参加者になる。
これは、あの大きな戦争を本当にとっては、ミクロの立場から語った、敗戦の理由。

当時の祖母は、13-14歳ごろだったらしい。
その時の地元は、そこまで空襲が多くなく、同級生なども、命を落とすケースは少なかったが、工場がある土地でもあり、戦闘機などの射撃から命を落とした人もいたそうだ。

13歳ごろから、学校に機材が導入され、そこで軍備品を作る手伝いをさせられていたらしいが、後の学校の機材ではなく工場で軍備品を作る事となったそうな。

祖母が言うには、同級生と「きゃっきゃ」と作っていたとのこと。
今の「ギャーギャー」騒がしい女子高生と、要は同じような感じで作っていたというこで、どんなに暗い時代でも、その年頃はの女は騒がしいものらしい。

当時は「無線探知機」なる物を作っていたらしいのだが、作ってる人間からしても、何がどうなのか、構造はわからず、品質はどうにもならなかったらしい。
殆どのモノが不良品で、使い物にならなかったそうだ。

「今の女子高生みたいなのが「きゃっきゃ」しながら軍備品作ってたんだもの。勝てるわけないよね。」

それが祖母にとっての敗戦の大きな理由。
しかし、ごもっともだとは思う。

大局を見る人は、ミクロな立場を見る事ができないといわれる。
当時の戦争執行者が、この生産についての問題を、どう思っていたのかは謎ではある。

そういえば、似たような話は、最近でも聞くような。主に食品関係で。

うみねこウィキ

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先日連休をもらっていたのだけど、一番時間を費やしたのは、新たなホームページコンテンツの制作だ。

http://www26.atwiki.jp/umineko/
「UMINEKO@ ウィキ」という、XBOX360クラン用の新しいコンテンツだ。

最近流行のweb2.0の方法を使ってみたわけだけど、なかなか面白い。
順調に情報量も増えていって、かなり充実もしてきている。

メンバー限定という事にしているけど、本当は誰にでも開放してもいいんだ。
トラックバックみたいな事にならなければね。

トラックバックは非常に面白いシステム。
このBlogも開設当初は、ちゃんとトラックバックを受け入れていて、それを使ったりした。

今はもう行っていない。
スパムだらけになって、使い物にならなくなった。
それでも、システムの裏側では、届いているから、その削除に追われている。

Mobable TYPEという自分でセキュリティーからやらなければいけないというところで、良いトラックバックだけを受け取るという、良い対策がみつからず、禁止ワードを増やすことから始まった。
前回で、リンクのHTMLタグを全部禁止することで、かなり収まったと思ったら、今度は一言二言だけで、トラックバックスパムを送り続けてきた。

しょうがないので、先ほどa i u e o w をガードすると設定したところ。
コメントにも適応されるので、もう英語は全部使えない。
ほんとうに、酷いもんだ。

つまり、どんなにシステムに夢があって、それが素晴らしいものでも、結局は、使うのは人間。
その人間が、欲にあふれて汚いものであれば、そのシステムは、成り立つ事は無い。

JOJOにも書いてあったことだ。
自分の欲のために、他人に何をしても良いとしている人間が一番の悪だと。
昔の人は言ったものだ。
恥ずかしいことをしたら、名が落ちると、お天等様が見ていると。

トラックバックの裏側には、他人の信頼を無視した薄汚い欲望だけが見える。
これこそ邪悪というものだ。

ご先祖様

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光武帝という本を読んだ。

王莽の新を倒す一つの勢力となって、漢を再考し往時の実力を持つまでに引き立てた、中国でも屈指の人物で、「妻を娶らば陰麗華」や、「柔よく剛を制す」という言葉も残している。
まあ、どれほど凄い人らしかったかは、wikipediaを読むのがてっとり早いだろう。

この光武帝という作品を読み、そして後書きの部分まで読んだときに、非常に興味深い1文を見つけた。
今の日本人の7割から8割は、漢民族の血が、どこかに混じっているというものだ。

この光武帝はキリストと同世代の人物なので、およそ2000年前の人物。
2000年前では、まだ日本では、自国の文化を伝える書物は残っていない。
ただ、この光武帝が倭国(日本)に授けた金印が、後に福岡で農家の人が拾って大騒ぎになった金印であるとされており、古代の日本と、漢民族は交流がなかったわけではないのだ。
ちなみに魏志倭人伝とかいう、割と教科書で有名な、日本についての最古の記述は、三国志の魏国の書物であって、この光武帝は、その一つ前の時代、後漢の創始ということになる。

今の日本に、漢民族が流れてきていたのは、中国でいう南北朝時代の頃までと言われていたように思う。
南北朝時代とは漢民族の支配力が弱まり、南に逃げたして、北方の騎馬民族が、それまでの中国に進出した時代だ。
つまり、この時代から、それまでの中国人は、別の人種になっていく。
だいたい、三国志の時代が終わり、晋が統一しきれず、北方の勢力に領土を奪われ、散々に国が乱れたあとで、隋に統一される頃までが南北朝時代。
教科書で有名な遣隋使の隋は、もう従来の漢民族ではなく、古代の日本に移住した民族の中心は、南方に追いやられた漢民族や、その祖先といえるだろう。

日本に漢民族が流れてきたケースとしては、春秋時代の呉越の戦いによる呉の滅亡で人が逃げ出したとか、この光武帝の時代に行き場を失った集団が逃げ出したとか、あとは秦の始皇帝が不老不死の薬を得る為に大金を渡した家臣が、逃げ出して居ついたのが日本だとか、色々言われている。
ちなみに、呉というのは、孫子の兵法を生み出した孫武が仕官した国であり、今の大河ドラマの風林火山という言葉は、まんま孫子の兵法の1ページであったりする。

日本人の7割から8割が、どこか漢民族の血が混じっているという事が本当ならば、その南北朝以前の時代の漢民族と、日本人は、大きく繋がっているのではないか。
そんな事を考えたときに、すごくドキっとした。
風林火山をはじめとした、沢山の言葉を生み出して今に伝えている春秋戦国時代の逸人も、ゲームでも小説でも大人気な三国志の英雄も、実は日本人の祖先と言えるのではないか。
もしかしたら、その時代の文化は、中国大陸では残らず、日本で育っていったのかもしれない。
それは、天皇というシステムが存在し続けた日本では、十分にありえるものだ。

今まで、中国の事だと思ってい読んでいた、さまざまな古事は、あくまで中国大陸で起こっただけであって、日本人に、そして自分に連なるものなのかもしれない。
そう思うと、なんか不思議なものを感じた。
それが何なのか解らないけど、古代中国小説を読みまくった自分としては、少し嬉しかったかな。

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