司馬遼太郎の歴史の世界からを読んでいる。
この本を読むきっかけとなったのは、家にただ置いてあったからで、さほど強い意味は無い。
この本は、日記のような性格が強い歴史雑学のエッセイ集。
著者が、この本を書いた時代の感覚が様々とあふれており、その感覚を元に、それ以前に著者が体験したり、追求した歴史について書いている。
そして、その流れから感じる、未来についての展望などを書いている。
つまり、今の私から見ると、25年前の時代感覚で、その前の過去の印象を語り、ちょうど今生きている私の時代を未来として書いていることになる。
この本が書かれた当時、私はまだ生まれたばかりで、時代は学生運動のさなか。
そんな時代の当時の日本人と、今の日本人は、その感覚からしてずいぶん違ってしまっただろう。
しかし、日本が抱えていると言われる問題は、この当時からさほど変わっていないのだとも感じた。
それはそれで、情けないことなのか、民族的な問題なので、仕方がないのか。
郵政民営化によってできて今回の選挙は、賛成派が勝利した。
一つの流れができると乗っかる国民性が出たのだと思うが、それまで改革ができなかったという国民性もでていた。
そういう意味では25年前とさほど変わっていないかもしれない。
さて、この本に書かれていた一つの中に、歴史は効率的な組織化に成功したものが勝利しているという主旨のエッセイがあった。
それは天下を席巻した織田信長然り、スペインと戦った時のアメリカ然り、歴史が証明しているということだ。
そのような歴史に則ると、Halo2もやはり組織としての戦いを煮詰めないと、クランの上位には入れないのだろう。
当然強い個人が集まるだけでも、戦闘力は飛躍的に増すことにはなるが、かの織田信長の軍勢は、日本で最弱と言われるほど、弱い個人の集まりだった。
昨日Halo2でビックチームをプレイして思った。
外人とは一緒にプレイしてもしょうがない。
手前勝手な上にすぐ逃げるし、組織戦もなにも出来たものじゃない。
回線も不安定になるし、勝負のほとんどが運試しになる。
多くの場合勝負は、先に外人が逃げた数が多いかどうかで決まる。
それで勝っても負けても、どうもこうもない。
日本人が逃げないのも民族性で、外人が逃げるのも民族性なのだろう。
これも、歴史の世界から考えると、回答が得られる類のものなのかもしれない。
歴史とは、成り立ちから経緯から今までずっと繋がっているものだと感じる瞬間である。




歴史の世界からHalo2