360プレイビュー: 2006年8月アーカイブ

XBOX360で発売されるデッドライジング。
数百対のゾンビを、ありとあらゆる方法で、攻撃して、その結果を写真に収めるというゲームだ。

このゲームについて、論争が起こっている。
規制の揺るい海外と、規制のある日本では、表現の差が生まれているということだ。

海外版では、ゾンビの腕を切断したり、頭を潰したり、胴体真っ二つにしたりと、そんなことができる。
日本版では、そういうグロの表現が、規制されているのだ。

それに対して、抗議の声が殺到している。
それは、どうして首を切断できないんだ!!というようなグロを熱望する声だ。

その論点を要約するとこうなる。
表現の自由という視点から外れていて、まことに遺憾である。
他のゲームでもバラバラにできるのに、まことに遺憾である。
ゲーム性が変わってしまうのに規制するとは、まことに遺憾である。
所詮ゲームで映画のパロディで首を切断できるだけなのが理解できないのが、遺憾である。

そして、それらの行き着く先はこうなる。
英語わからなくても、ゾンビの体を砕いて遊びたいから、海外版買うさ。


前提として、世の中にはグロが好きな人がいる。
それは、認めつつも、やはり怖さを感じてしまう。

何より怖いのは、彼らの論点。
彼らの論点は、総てにおいて、自分がグロイゲームができればそれでいいという一点に終始するだけの盲目的な視点でしかない。

表現の自由といっも、自由に何も制約がないと思ってはいけない。
自由を貫く為には、代償も必要であって、それを世間に売り出すとしたらその責任も免れない。
例えば、若い女性のゾンビの下半身を切断して性行為ができるという表現も、自由だから認めろというのか。
実際に海外版は、女性のゾンビの上半身を切断して、セクシーな写真としてカメラに収めることはできるのだけど。

他のゲームを持ち出すのは意味が無い事だ。
XBOX360のソフトはゲームとしての描画表現は今までよりもずっと進んでおり、いままでと同じようには行かない。
ファミコンの時は記号だったものは、今では人は人として十分に表現できるようになってしまっている。
問題なには、そのゲーム単体での話なのだ。

ゲーム性が変わってしまう。
確かに切り落とした腕を武器にして攻撃したり、切断した頭をサッカーボールキックできなくなることは、ゲーム性が変わることだろう。
たぶん、そうなのだろうが、それがゲームの面白さに繋がるかといったら、甚だ疑問を感じる。

パロディだからという意見は論外だ。
パロディだろうがなんだろうが、問題あるものは問題がある。
武器を振り回して人を殴り殺して、遊びだからと言ったら許されるのだろうか。
ゲーム内の人形だから何をしても問題ないのか。
精巧にできたマネキン人形の頭をストンピングで破壊して、楽しんでいたら、それは問題ないのだろうか。

しかしながら、私は世の中にグロが好きな人がいることは認める。
それを正当化するために言っているだけの論点と思えば、その心情もわかるつもりだ。
古くは、犯罪人を車で割いたりするする事は、市民にとってイベントだったし、切腹ショーだって、同じようなものだ。
人は、そういうものを毛嫌いながらも、好むという面がある。

ただ、私はやはり、ゲームでの残虐表現の行き過ぎには、批判的だ。
ゲーム本来の楽しさを、グロが増幅するといったら、それは無いと思うからだ。
サッカー観戦で、大事な試合で負けたら、敗因となった選手を、その場で八つ裂きにすると決めたら、それは楽しいのだろうか。
だから、首が飛ばないのが損で、首が飛ぶのが特という考えは、全く理解できない。

ゾンビの首を切って、ゾンビの腕を切断して、ゾンビの体を真っ二つにして、その情景を楽しむ。
それは、ゾンビという記号の敵を、倒すことを楽しむのとは、一線を画している。
ゲーム本来の楽しさを味わうのと、猟奇的な行為を楽しむのは、全く別の事だと思う。

私は、その規制された日本のデッドライジングすらも、買う気が起きない。
ちなみに、アメリカ人は、残虐な人種だと思っているので、それに対しては何も言う気は無い。

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