進化を疎んじて変化を求める。
その変化を疎んじて保守を求める。
今回公式サイトが更新されたリッジレーサー6について。
このゲームは先月行われたゲームショーに出ていたので実際に見てきており、そして、その後色々な所で他人の評価を見てきた。
その時から思っていたのだが、このゲームに対する評価は、私と他とではかなり違う。
私が見た限りのリッジレーサー6は、正統に進化したリッジだった。
リッジらしい絵作りをもっと進化させ、リッジらしい楽しさを進化させ、それに360のオンラインを加味させるであろうゲームであった。
今までのリッジの世界を大切に、全ての面できっちり進化させた、ゲームを作ったのだと思えた。
言葉にこそ出さなかったが、私はこのリッジレーサー6の方向性と、その進化については、かなり評価していた。
これこそ、正しい進化というべきものだと思ったからだ。
今まで多くの他人が下した評価は、次世代機らしくなく、今までのリッジっぽいのでイマイチということだった。
もっと、何か変化があることを期待しての評価だったのだろう。
グラフィックの感じが、今までの延長にあることなどが、そのような評価に繋がったのだろう。
しかしながら、私は思う。
リッジっぽい絵というのは確かにあって、それは捨てるべきではない。
レースゲーム全てのグラフィックや絵作りが同じ方向性に向かうことは無い。
進化というのは、もっと地道なものなのだと。
前作から変化を遂げ成功した例も稀にはある。
しかし、概ねその変化に対して、結局は批判が多くなることが多い。
進化と変化は違う。
特に長年繰り返し出されてきたようなゲームなら、なお更のことだ。
進化と変化を間違えたものを、一時の感情で評価するのは、結局もっと大事な物を見てないのだ。
今回リッジレーサー6は純粋な進化を遂げた。
HDTV対応で作りこんだリッジのグラフィック。
この当然すぎるような画質の進化は、実際はTVの規格を超えた物凄いグレードアップをしているということを意味している。
今まで一人でプレイしてきたリッジを、ネット対応でプレイできる。
これは、今まで一人でプレイしてきたリッジファンにとって、全く違う境地を体験できるものになる。
進化というのは、今まであったものを育てながら、少しづつ今まで出来なかったものを加えていく作業だと思う。
リッジに限らずゲームは進化している。
長年ゲームをしてきて、いつだって今だってゲームはどんどん良くなってきて、どんどん面白くなってきていると思っている。
作る人たちの沢山の努力で生まれた、少しづつの進化の延長戦をいつだって遊んで来た。
だから、今もゲームで遊んでいるんだ。
*ちなみに、ゲームの進化というものの私の解釈の話であって、辞書を引っ張ってきてその言葉の辞書的な意味を語りたいわけではなく、そのような生きた日本語を感覚として捉えられないような低レベルな突っ込みは禁止。




リッジ6の進化