以蔵と新撰組

[ 大河ドラマ ]
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先週、先々週の竜馬伝で、以蔵と新撰組の絡みがあった。
幕末三大人切りに数えられた以蔵と、最強の剣客集団と言われた新撰組。
歴史的に、実際にこの絡みはありえたのか、一応調べてみた。


・岡田以蔵(土佐郷士 尊皇攘夷派)「竜馬伝」

1862年8月に土佐勤王党と共に入京。暗殺活動。
1863年5月 幕府が朝廷に約束した攘夷決行に対して、長州のみ決行。
□1863年9月 八月十八日の政変で、土佐の攘夷派失墜。
■1864年6月頃 捉えられる。

暗殺活動は1862年8月~1863年9月に集中すると思われる。

・新撰組(会津預 尊王佐幕派)「新撰組!」

1862年8月 会津が京都守護職となる。
1863年2月 将軍上洛の警護の為、浪士隊として入京。
1863年3月 浪士隊から離別。会津藩預かりになる。
□1863年9月 八月十八日の政変の働きで、新撰組と命名。
■1864年7月 池田屋事件で名を響かせる

京都守護(粛清)が活発になるのは、1863年9月以降と思われる。


これを見るに、八月十八日の政変がターニングポイントになって、以蔵は不貞浪士となり、新撰組が公の警備兵となっている。
なので、政変後の□~■の期間、出世願望と時勢がフィットした新撰組が、逃げ惑う以蔵を追いかけ絡んだ可能性は、それなりにあると思う。


この頃の京都は、本当に色々な人が入京して、絡み合っている。

最近の大河では、新撰組、篤姫、竜馬伝と幕末物が続いているが、その「篤姫」の出身の薩摩も、この頃(1962年)京に入京し、寺田屋騒動で過激攘夷派が打たれ、公武合体派を軸に動き出す。
八月十八日の政変で主流になって、形としては佐幕派となるが、その数ヶ月前に薩英戦争を行っており、裏では倒幕の思想も含みながら、情勢を眺める事になる。

幕府内では、将軍の家茂が、京都に上洛(1963年 )をしており、新撰組結成のきっかけとなっている。
また、作中でやたら酷い扱いを受けていた一橋(徳川)慶喜だが、井伊大老暗殺後からの混沌した情勢の中で、京を中心に様々な動きをしており、間違えなく幕末の主役であり英傑だと思う。


何にしても、この八月十八日の政変って、幕末の立役者にとって、大きな事だったんだなと、改めて実感。

*八月十八日の政変
朝廷内のクーデーターで、過激攘夷派(長州 土佐郷士)→公武合体派(一橋 会津 薩摩 土佐上士)へ主流が移動。

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2010年5月31日 22:22 by suka

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