記憶2

[ 世俗 ]
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記憶喪失って言葉がある。
例えば、長年連れ添った人がいて、その人から自分の記憶が消えてしまう。
その人はその人だけど、もう自分と共に生きた事を覚えてない。
人格さえも、以前と変わってきているように思える。
それは、今でもその人だって言えるのだろうか。

人とは、身体なのか、精神なのかって考える。
肉体に傷が付いてしまっても、年をとって面影を失ってしまっても、精神健在であれば、きっとその人だって思える。
じゃあ、肉体は変わらず、精神が変わってしまったら、それは、その人だって思えるのかどうかと言われたら解らない。

たとえば記憶を失っていたとしても、外見や性格や癖みたいなものが変わっていない人、それが恋人だったとしたら、それは本人だと思えるかもしれない。
むしろ、都合の悪い事を、忘れてくれてほっとするかもしれない。
だけど、今までの自分を忘れてしまわれて、悲しいと思うことが多いだろう。
それまでの自分は、その恋人の中には存在しなくなっていて、その恋人は別の人間になってしまったと感じるのではないだろうか。

死んでしまった人の精神は、その肉体には存在しなくなる。
だけど、その肉体は本人であって、他の誰のものでもない。
また、その人の言葉や心は、また別の人の心で生きるかもしれない。
だけど、その別に人の心の中の精神は、もうその人のものなのではないだろうか。

人とは、肉体なのか、精神なのか。
それは、記憶によって作られる偶像なのか。

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このページは、sukaが2007年5月23日 01:54に書いたブログ記事です。

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