力は何のために。

[ その日のこと ]
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電車に乗るために急ぎ登った駅の階段。
そこで一つの光景を目にした。
壮年の男性の方が、乳母車を階段上に上げるのを手伝っていた。
一人の女性の力で乳母車と赤ちゃんとを、階段の上に持って行くのは大変だ。
だから、こういう当たり前の手助けは、すごい親切だと思うし、それでいてなかなか出来ないことだと思う。
人は、成長するに連れて、何らかの力を持って行く。
男なら、高校生にもなれば、成人並みの力を持っている。
そういう力を何に使うかといったら、その一つに、こういう事が挙げられるんじゃないかと思う。

最近読んだ本で共感を受けたことがある。
学ぶということにより、人を理解する力が付き、だから人に優しくなれる。
何も学ばず、人の立場も苦しみも理解できなければ、確かに人には優しくなれないだろう。
これだけ複雑になっている現代だけど、確かに人を理解できる力があれば、十分仕事をして生きていけるはずだ。
もちろん、単純な基礎教養は必要だし、技術職のようなことは、それだけでは足りないとしてもだ。
根本の部分がしっかりしていれば、それだけでなんとでもなるものだろう。
だから、受験用としての学習だけに価値を置くのでなく、学ぶという事本来のものを、もう少し見直してもいいのだとも思う。

力は、人の上に立ち、人を蹴落と為にある。
学ぶとは、人の上に立ち、人を蹴落とす為のもの。
この世界で自分が生き残る為には、ある程度は仕方の無い事かもしれない。
だけど、それだけじゃないのだと、最近感じている。

この年齢になって電車の中で、年配の方に自分から席を譲れるようになった。
それは高校生の頃の自分は、やれなかった事。
とても小さい事ではあるけど、少しづつは人を理解して行動できれば、それは価値のある事だと思う。

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このブログ記事

2006年8月23日 21:52 by suka

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