最近は春秋戦国時代の小説を読み漁っている。
おかげでこんなタイトルになったわけだ。
この道と礼の思想というのは、発端としては同じ儒教になる。
道というのが仁の精神での規律で、礼というのが法律による規律という違いがある。
要するに、道徳で人を導くか、法律で人を縛るか、そういった違いだ。
秦の始皇帝が、中国を統一した話は有名な話だけど、その秦は法家の思想を取っていた。
それによる合理的で明確なシステムにより国力を上げ、戦国時代の覇者となった。
しかし、他国までそのシステムの中に組み入れ、法を厳しくしていったことで、そこに道の精神がおこらず、民衆が着いてこれず、謀反が広がり、他国の復活を助けてしまう。
結果、何百年かかって中国を統一した秦は、統一した後にたかが15年程度で、滅んでしまうことになる。
最近は、法律を潜り抜けられればいいという考えが強く、モラルの低下が叫ばれているが、そのモラルというのが道であろう。
道の思想も、そういうモラルが低下していた時代に叫ばれて、後に広まった思想だ。
その思想が生まれた時代は、それだけ仁をもって国は治まっておらず、思想家が愁いを感じる状況だったということだ。
今の日本にモラルが欠けているという状況があるのならば、それは道を軽んじた教育や社会構造であったという事になる。
人間は、不幸から幸福になる為の思想を考え出す。
数百年も戦争やっていたら、それだけ不幸な人間も多かったのだろう。
道だけで何とかしようと思うと、そこに甘えができて崩壊し、法だけで何とかしようと思うと、束縛から抵抗され決壊する。
そのバランスを、どうするかというのが、全てにおいての運営の基本になる。
これは、国でも会社でも、小さき集団でも、クランでも、それはそこまで変らない気がする。
つまり、これはクラン運営の話だ。
私の所属するクランは、一時的な波にのり、クランメンバーが大量に増えた。
増えた中でも、なるだけ道による運営、つまり決まりごとで縛るのでなく、人道を基礎とする形で運営する方針を取ってきた。
しかしながら、その縛りが無い事に、逆に甘えが出たのか、幽霊メンバーが増えてしまったことが否めない。
もちろん、その時の主流のゲームがクラン色が全く出せないゲームであった事も、高い要因にはなるのだけど。
そういう状況になってきたので、礼による運営へ、つまりルールを多少定める事にした。
その中でも、できる限り道の精神を無くさず、機械的すぎる法には、ならないように配慮したつもりだ。
今回は、参加する意思を失っているメンバーを脱退させる必要がでてきていたので、そのプロセスとして、法を立ち上げることが必要だった。
やらないに越した事は無かったが、放任し続ける事には、デメリットも多いと思ったので、進めなければならなかった。
法を建てないでそれを行なう場合、完全に個人が個人を定めるような対応になってしまう。
つまり、一人の王様がそれを行なうような形になってしまう。
その責任を、一人としてではなく、法に委ねるために、どうしても法が必要だった。
ガイドラインという名目での法を提案し、それをクランで承認する。
そして、それに乗っ取った形で、運営の適正化を図る。
まどろっこしい方法ではあるけど、そういうプロセスを踏まないよりは、穏便にいくと思う。
今後、そういう法はできる限り増やしたくは無い。
法が必要になるということは、法でないと縛れない状況が起こるという事。
そして、その法を増やしすぎることは、最終的には破滅を招く事を、歴史は示している。
万事が万事、昔の人の知恵というのは、学んでいくべきものだ。





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