結果論だけで言ってしまうとどうしようもない。
綱渡りで守ってきたものが、段々守勢になり、堤防が決壊してしまっただけのこと。
DFを厚くするか、中盤を厚くして中盤で保つかの選択で小野を投入したんだろうけど、それは選択としてはありだったと思う。
日本は押し込まれたら負けてしまうのは解っていたことで、フィジカルをスピードで守れなくなった時が、その堤防が決壊する時だったということで、それが最後の20分間だったと思う。
数度のカウンターでゴールを得られなかったこと。
駒野がPKを取ってもらえなかったこと。
福西のシュートはギリギリ横に反れ、相手のシュートはポストに救われたこと。
坪井が故障してしまったこと。
そういう積み重ねで、その時勢も変化し、最終的な勝敗は決まってしまうということだろうが、それが勝負というものでもある。
さて、サッカーは国の威信を賭けた戦いという。
それを戦争と表現する人もいるだろう。
最近は中国の春秋戦国時代の小説を読んでいるけど、その時代は中国はまだ漢民族ではなく、それぞれの国に分かれた多民族国家だった。
それぞれの国が、その国の威信と存亡を賭けて、必死に戦争をしていた。
兵隊を送り出す民衆は、サッカー日本代表を送り出す私達の心境と、多少は似ている所があったのかもしれない。
国の代表が戦いに出ていくこと、それが勝利を収めてくれることを願い、自分のことのように喜び、悲しんだりしたのだろう。
ただ、その時代の戦争で国が敗北してしまうことは、多くの親族かもしれない兵が死に、その国の民衆も捕らえられれば奴隷とさせられてしまい、本当に自分に関係することだった。
それに比べれば何て気楽な戦争なのだろうとも思う。
国破れて山河あり
城春にして草青みたり
有名な詩ではあるが、国の戦争により荒廃した都を哀しんだ詩だ。
このワールドカップで日本が戦い終えた後は、そうなってはいけない。
国は破れたとしても、そこには意思があって、築いてきた城があって、まだそれを継ぐ人がいる。
この4年で日本が進んできた道は、栄光への途上の道であって、その結果は全ての終わりじゃない。
その先が、管理された機械のようなサッカーでなく、意思疎通と判断によって打開するサッカーである為に、今のドイツワールドカップの代表には、今一度踏ん張ってくれる事を願う。





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