道具を使う

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ゲーム機はゲームをする為の道具である。

楽器は音楽を奏でるための道具であって、包丁は料理をする為の道具だ。
TVは映像を映し出す為の道具であって、ホームシアターは劇場音楽を家庭で楽しむための道具だ。

さまざまな道具にとって、一つ共通して言える事がある。
多くの道具は、使う人間の技量によって、その実力を大幅に上下させる。
つまり、使う人間によっては、どんな素晴らしい道具でも、その真価を発揮する事ができず、使う人間によっては、かなり劣った道具でも、ある程度は有効に活用する事ができる。
もちろん、その道具を使える人間は、そんなに劣った道具をわざわざ選択するような事は無い。

そう考えると、道具というのは、その選択から使用まで、その使用者の技量によって姿を変えていくものなのだ。
同じ道具でも使い方によっては人を傷つける道具にもなり、平和に貢献するための道具にもなると言われる事もあるが、それもやはり使用者によって姿を変える一例だろう。

最近はデジタル機器など呼ばれるものも増えて、道具も多少なり複雑化してきているのは解る。
ゲーム機だってその一つではあるのだが、何も感覚的に理解できない人にとって、全てのデジタル機器は、導入当初は、まったくその実力が出せない可能性はある。
それはメーカーも努力している部分でもあり、多機能差で比較したがる人間が増えていった結果の弊害であるとも言える。
しかし、だからといって、その道具の実力を発揮する事ができなかったときに、全て道具のせいにするのはどうなのだろうか。
道具を使う技量も知識も無く、それを身につけるためのほんの少しの努力を怠って、それで道具が悪いと決め付ける。
そんな人間は少なくは無い。

ゲームが好きな人間は、イメージとしては悪いかもしれないが、この点においては非常に強い人種だと思う。
もともと苦労して挑戦して覚えながら、そのゲームを攻略していくのを娯楽としている為、デジタル家電だろうが何だろうが、使いこなす事に長けている。
長けているというのもあるが、その道具の実力を発揮できるかどうかは、使用者の問題という認識を持ちやすい人種だとは思う。
昨今の焼き増しだらけのゲームを専門的にプレイするユーザーは兎も角として、新しいゲームをプレイし続けるというのは、多分な努力と労力と挑戦心を必要にするものなのだ。

さて、書いているうちに主旨がぶれてきてしまったのではあるが、つまりはこういうことだ。

フグを食う馬鹿、食わぬ馬鹿。
自分で割いて当って死んで、人のせいにするのが真の馬鹿。

死んだら人のせいにはできないけどね。

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このページは、sukaが2005年11月22日 05:40に書いたブログ記事です。

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