「作品」という言葉にグっときた。
ある有名な幽波紋漫画家の短編集を呼んで、その巻末に短編漫画その一つ一つについての解説がされていたのだけど、その自分で書いた漫画を指す言葉が作品だった。
漫画を作品と読ぶことは、それはある種当然のことなのだろうけど、何かそこに作った人間の魂が現れていたように思えた。
それは、私が絵画とか、音楽とかでも、作品と呼ぶからには、ある程度の完成度を保ってて、自己表現に富んでいなくては、そう呼ぶにはおこがましいと思っているようなところがあって、だからこそ、この短編漫画一つを、作品と呼んだその行為にぐっときた。
もちろん、この漫画家の漫画はいつだってアーティスティックでいて完成度が高いのだからこそ、そんな言葉に感動したのであって、手抜きやパクリな漫画を作品なんて言われた日には、それは違うだろと思うわけだけど。
文章だって同じで、その域まで達するような文章を書いたことは無いけど、やはり作品と呼べるような文章ってのもあるし、もちろんゲームだってそうだ。
どっかの2番煎じでしかなく、質の悪いゲームを作品と呼びたいものじゃないし、開発者が、自らの作品だと自慢下に語れるようなゲームは、それ相応の完成度を自負できるゲームだと思う。
サブローでも、誰もが一つの作品として認められるようなゲームが増えてくれれば、それは本当に素晴らしいことだと思う。
そんな作品達が、数多く遊べるようになり、そのハードのポテンシャルの高さを示すことができた時、サブロー自身が一つの作品と呼ばれるようになるのではないかな。
作った人たちは、絶対何かを夢見て、このハードに魂を込めてきたはずなんだから。





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