「このキリストの絵を踏めないのか?」
「いえ・・そんなことは」
「ならばなぜ踏まない?貴様はキリシタンだな?」
「違います・・私は・・」
踏める者も踏めぬ者もいた。
どちらが良いとか悪いという話ではない。
踏んだ者には、屈辱と命が与えられ、踏まなかった者は、生存を許されなかった。
そういう事だ。
今日私は少しだけ踏絵の気分を味わった。
「このファミ○XBOXを買えないのか?」
「いえ・・そんなこと」
「ファントムダストの体験版がついてるんだぞ?買わないのか?」
「いや・・その・・」
「ヒトミちゃんの水着姿が表紙なんだぞ?買わないのか?」
「なんていうか・・それが・・いらな・・」
「なんだ貴様、口ではXBOX応援しているといって、それは嘘だったのだな。」
「違います・・私は・・」
おそらく葛藤したのは私だけではないはずだ。
きっと買えた者も買えない者もいた。
どちらが良いとか悪いという話ではない。
買った者には屈辱とファントムダスト体験版が与えられ、買わなかった者は、何も手に入れることができない。
そういう事だ。
私は買った。
あやしい3Dの水着女が表紙を飾っている雑誌を買った。
そして手に入れた。
屈辱とファントムダストの体験版を。
なぜ?こんな思いをして買わなければならないのだろう。
なぜ?こんな思いをいして買わなければならない雑誌になってしまったのだろう。
なぜ・・・・?
おそらくこんな所だろう。
そういう表紙にした方が売れる。
否、売れた事があった。
一時的に売れた事で、そっちの方が良いと勘違いした。
おかげで最初は我慢していたその路線を嫌う人は、どんどん買わなくなった。
そして、残っている人を放さずに、部数を確保する為に、その路線を続けざるをえなくなった。
望もうとも望まなくとも。
この2つの問の答えはきっと同じではない。
なぜ、キリストを信じるのに、こんな目に遭わなければならないのですか?
そんなにイエス様を信じてはいけないのですか?
なぜ、XBOXの雑誌を買うのに、こんな目に遭わなければならないのですか?
そんなにファミ○XBOXを購入して欲しくないのですか?
同じではないはずなのに。





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