ドラマといったら大河ドラマぐらいしか見てない最近の私ですが、K-1やプライド、サッカーや野球といったスポーツは結構好きでいて、選手達の頑張りに、密かに感動していたりします。
競い合いをするプロのスポーツは、勝者と敗者が明暗を別つ厳しい世界ですが、そういった中で選手達が勝利を目指して努力し、全力で戦う所に惹かれるのだと思います。
勝者を賛美して、敗者を貶めるというだけの見方をするような、そんな狭量な寂しい人間には、なりたくないものです。
最近は、社会においても勝ち組と負け組みのような区分けをされる時代になってきました。
少し前までは、そんな言葉を聞かなかったのですが、今や社会やメディア全体が、それを煽っているような状況で、勝ち組を賛美して、負け組みを貶めるような雰囲気を漂わせています。
スポーツの試合の勝ち負けと、社会での勝ち負けでは、意味が違います。
社会での負けというのは、生活に関わる問題、つまり生死にかかわる問題です。
勝ち組が生まれるのは、それはそれは結構な事ですが、半数が負け組みとされてしまう社会は、幸福なのだろうかと考えてしまいます。
自殺者の増加や、治安の悪化が、いつ負け組となってしまうか解らないという、息苦しい殺伐とした空気と、関わりが無いと誰が言えるのでしょうか。
全力で地道に働いても、幸せになれない社会の形は、これからもっと厳しくなり、マネーゲームに勝利した一部の人間だけが勝ち組とされ、その勝利をつかめない者は、罪だと言わんばかりに負け組と呼ばれる。
私は勝利も敗北も望んでいません。
他人を蹴落として生きていこうとは思っていません。
だけど、人間らしい生活を送る為に為に敗北は許されない。
多くの人もきっと、同じような思いで、勝ち負けの評価を突きつけられ続けているのでしょう。
私は勝ち組と負け組という言葉が嫌いです。





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